2010年アイアンマン西オーストラリア〜レポート by  N.SUGIMOTO/MR

昨年はなんとも微妙な気持でシーズンが終わった。一年の締めくくりであったはずのアイアンマン西オーストラリアで初めてリタイアを経験してしまったのだ。苦手のスイムにはやや不安があったものの途中リタイアは全く想定外の展開だった。初めてのアイアンマンはホントにほろ苦いものとなったのでした。そこでこの一年はリターンマッチに向けて失敗の原因究明とその対応を実践してきた。そして今回試合に臨む気持、いやこの一年間はリベンジを強く意識したものだったかもしれない。結果は昨年リタイアを余儀なくしてしまった強烈な脚の痙攣は全くなく(これまでマラソンを含めロングの大会ではほぼ痙攣との戦いでもあった)今年の締めくくりとしては最高の出来事でこれまでに経験した事が無い次につながる新しい世界が広がる予感がする。
<暑くなかった今年のバッセルトン>
やや雲が多めの晴れで、時々通り?がやってくる今年のバッセルトン。寒暖の差が大きい気候に対応すべくレースウエアの選択には悩みが絶えない。早いグループはともかく夜暗くなり冷え込む事を覚悟しなければならないゆっくり目のグループにとっては、朝の寒さ、昼の暑さ、そして夜の冷え込みに対策を講じないといけない。ただ今年は昨年に比べあまり暑さを感じない。きっと今は雲が多めだからそう感じるのだろうか。気候の違いを実感するため今回は気温計を持参し試合の前日に実測、体感してみた(暑さを感じさせない乾いた暑さに気が付かず水分不足?になった昨年の失敗を反省)。早朝:13℃、スイムスタート時:17℃、昼:25℃、夜:15℃だった。ただ日中の太陽の日差しは刺すような光で体感的には強烈だ。そして海沿いを走る夜のランコースは必ず風があり体感的な寒さは半端じゃあないと聞く。
<自信を持って泳ぎ切ったスイム>スイムもバイクもそしてランも?少しずつではあるが昨年とコースが変わっている。スイムではジェッテイ(桟橋)を反時計回りに、バイクでは海岸沿いに約5kmの行って来いが追加、ランは4 周回コースでフィニィッシュは街の中心部に変更されていた。したがってトランジションの広場はジェッテイの左側になっていた。自分にとってスイムのコース変更はショックだった。右オープンの為全くヘッドアップが必要無かった昨年に比べ大きな負担増である。しかしながらブイしか無い通常の海上に比べればはるかに楽な事には変わりなく不平を言うのはお門違いだが。。。朝5:45 プログループのスタート15 分後に長い一日の始まりはやってきた。(長いと感じている暇も余裕もはなかったが。。。)気温が低いせいか海中はむしろ暖かく感じられた。すこし湾曲した桟橋の先端に向け最短距離を狙うグループに対し距離はともかく出来るだけ目印になる桟橋沿いを行こうとする自分と同じ考えの者もおり結果的にスタートラインの幅は広くなり好都合だ。そしてこの砂浜に1300 人余がいるとは思えないくらいゆったりとしている。スタートの位置取りに気を使う事も無い。何時もの事ではあるが今回もバトル回避の作戦に迷いはない。スタート前は何かやり残した事が無いかあれやこれやと神経質になっているが、スタートしてしまえば落ち着くものだ。もうやるしかないと決めれば腹が据わる。昨年同様海流はやや沖に向かっている様で気持よく進む。時折太陽が差し込み海底を照らし海藻がきれいだ。気分よく遊泳しているとやがて自分の周りに殆んど人影は無くなり(これも何時ものパターンで焦ったりパニックになる事は無い)ただマイペースで桟橋先端を目指すしかない。今回は特に楽に泳げる事を念頭に練習してきた。練習と言っても練習のうちに入らないかもしれないが、今シーズンは18 回プールに足を運んでおり自分としては昨年より進化したつもりだ。とにかく泳ぎきる自信が付くまで集中的にやるのが何時ものパターンで、速く泳ぐ事は次の課題である。しかしスイムは体力よりもスキルがものを言うジャンルと聞いている。よく理解できる。魚をみれば分かる。推進力と逆らう抵抗との差が結果だからだ。筋力の衰えた自分にとって何ともったいない事をしていると思う事がある。スキルを磨くにはスイムをしなければならない。その前にスイムが好きになるスキルを会得するのが順番の様だが。。。。スタート時には晴れて明るく透き通った海も沖に来て太陽が隠れだし暗闇の海に変わり快適だった旅も心沈みがちだ。もうそろそろ折り返しの桟橋エンドが見えても良いかなと期待しだしたころだった。シンボル的な屋根付きの建物が見えやっと来たかと安堵したが、どうもおかしい。まだその先に向かって泳いでいる姿を見て一瞬自分の位置関係を疑った。どうやら桟橋は一部欠落して途切れ、まだ先に続いている模様である。気を取り直してとにかく折り返し地点を目指し、そして陸に向かうしかないのだ。陸に向かう帰路は半ばまでが華だった。次第に右からの波に呼吸は乱され、流される自分を強制しようと海流に逆らいながらの戦いとなった(逆らわず流されながら進めばもっと楽に早く陸に付けたかもしれない)。陸は見えるがいっこうに進まないと言うか全くその場を動かない自分を見て非常事態を感じた。温存していたキック(クラブ合宿で徹底的にしごかれた成果のキックで。。。)をフル動員しわずかに進んでいる事に望みを託し、この持久戦に勝利しやっと脱出に成功着岸したのだった。よれよれと疲れ切ってもたつきながらも何とか自力で砂浜に立ち、海を振り返り自分が最後でない事を確認安堵し、海に向かって一礼、スイムの門をくぐったのだった。(1137 位/約1200 人)
<思わぬ事態発生に耐え忍んだバイクパート>
トランジッションエリアに入るとボランテアのスタッフがスイムキャップのNoを見て着替えの袋を手渡してくれる。そして何と言ってもウエットスーツを脱ぐ手助けをしてくれるのは助かる。今回は各パートでの快適さを求めてバイクはバイクパンツ、ランはランスパッツと全て完全着替えとした。着替えを終えバイクラックを見渡すと残るバイクはパラパラとわずか有るにすぎなかった。バイクパートは昨年リタイアするにいたった脚の痙攣で悩まされ続けバイクから降りた時、着地さえままならなかった悪夢が頭から離れない。今から始まる長旅に備えエネルギーの補給とアームウオーマー等寒さ対策を確認しゆっくりとバイクパートに入った。今回は補給食にも新たな試みをした。塩分補給には味噌汁を、そしておにぎり、ソイジョイ等目先を変えて食べやすさを重視した。最重視したのは水分補給である。今日は暑くないばかりかむしろ寒いくらいだ。それでも水分不足にならない様に意識した(結局3Lは採っただろうか)。このクラス(スイムの落ちこぼれ)は遅い集団からも更におかれたパラパラ組でバイクに入っても前後には殆んど誰もいない一人旅だ。大体は南西の風で行きは追い風となり滑り出しは順調である。ただ折り返しが4 か所あり必ず向かい風が何処かでやってくる。路面は荒っぽい舗装で抵抗が大きく頑張ってる割にはスピードが出なくて焦る。全く起伏が無いフラットなコースではあるがなんとももどかしいくらいにスピードが上がらない。まだバイクに乗り始めて10 分も経たないのに既にトップグループは私を周回遅れにしようとしている(3 周回のコース設定)。先導車が来て間もなくカラ、カラ、カラと独特のデスクホイール車輪音が後ろから聞こえてくると、アッと言う間に抜き去って見えなくなってしまう。この頃からだったろうか、どうもおかしい、玉が痛い?苦しい?のだ。如何したんだろう。ダンシングしてみたりDHポジション等いろいろポジションを変えてみるも一向に改善しない。なんとも集中出来ないばかりか時々足を止め苦しみに耐える状態となってしまった。原因が分からず如何すれば脱却できるか思案しながらの100kmは、ただ苦しみに耐え忍んだ長い時間だった。ついに耐えきれずトイレに駆け込んだ。そしてインナーを下げた時、途端にその苦しみは一瞬に無くなったのだった。今回ウエアーを全て着替える事とした為、バイクパンツの下には何時もははかないインナーがある。特にDHポジションではことさらインナーで締めあげてしまった為だったろうか。やっとすっきりした本来のバイクに戻りホッとするやら予期せぬロスタイムを悔やんだりした。初めてやる事は試合以外で試す事だと反省しきりだった。。。時々スコールを浴びたり、向かい風で20km/h以下のスピードとなったりはしたものの心配した脚の痙攣はなく(新たな苦しみがあったが)何時ものロングライドを終えた感覚でバイクパートを終える事が出来た。(1043 位/約1200人)
<自分に優しく走ってしまったラン>
最初から全く走る動作すら出来ず、12km歩いた末、嫌気してリタイアした昨年。それに比べ今年は全く無傷の様に思えた。なんらの違和感もなくランに移る事が出来たのだ。いけそうだと思う気持ちと、2回の失敗は出来ない、慎重に行こうと思う気持ちが交錯しながらの出だしだった。今は5時間を?し切る程度のペースだろうか。コースの半分は街中を通る4周回コースとなった事もあり応援、観客が絶え間ない。バイクパートではむしろ寒かった気温も晴れるに伴い暑くなり、各エードステーションでは水をかぶったり、頭上に氷を載せたりした。3kmくらい経過しただろうか、次第にダメージの程度がつかめてきた。大腿筋は健在のようだ、右足にはかなり大きな底マメが出来た様だ、両脚スネの部分が異常に苦しい。数歩歩いてみると脚のスネの苦しみは一瞬に消える。5時間を切るには歩くわけにはいかないが、ただ走りきれなかった時は後半の落ち込みは大きく身体的にもタイム的にもダメージが大きい事を知っている。我慢をして己に挑戦してみるか、どうしようか。。。今の自分にはどうやら冒険心も、勝負をかける理由もそして心意気も持ち合わせていない様だ。選択するにはそう時間はいらなかった。大きなダメージが無い健在?なうちから数百m走り一瞬歩きストレスをレリーフする事で後半の落ち込みを防止する自分に優しい道を選んだのだった。ここからが気楽な旅の始まりだったかもしれない。フィニッシュタイムを予測してみたり回りを眺めたり、特に走りに集中している分けでもなく淡々と距離をこなしていた。コースの半分は海辺でこの辺はハエが多い。ランナーの背中は真っ白いであろうウエアーがまだら模様だ。とにかく顔付近にまつわりつかれるとうっとうしくイライラする、しかしいくら払いのけても限りなく、結局根負けしてしまい何時の間にかなされるがままとなってしまう。ただこの辺のハエは小さく何故か不潔感が無いのが不思議で救いでもある。3周回目だったろうか、予測はしていたがついに小島さん(先日のハワイ75 歳クラスで優勝)に追い越された。バイクでの貯金が?なすぎたと言うよりランのスピードが違い過ぎる。そして先輩の走りには迫力があり意気込みを感じた。それに比べ自分は何といい加減なんだろうか。。。4 週目も半ば過ぎとなりあと残り3km地点頃から沈みかけた太陽は水平線を赤く染めジェッテイを照らしやがて沈んでいった。美しすぎるこのロケーションにてカメラが無い事を悔やんでみたりもした。次第に暗闇となるころ、市街地に入り沿道の人垣は切れ目なく連なり「ウエルダーン?」「イエース」「グッドジョッブ!」周回が終りである事を称えてくれる。そして更にゴール付近は桟敷席となっておりハイタッチが続きアイアンマンの感動を十分に?みしめながら一段高いスロープをゆっくり駆け登り14 時間18分のドラマは幕を閉じた。(総合1074 位/1167 人完走)
< 〜たら 〜れば で来年に夢を託して >
昨夜は完璧とは言い難いが身体はビールも受け入れてくれ仲間と健闘をたたえあえた。そして翌日、回りの仲間が筋肉痛で階段をよれよれと降りている姿を横目に全く痛みが無い自分が不思議だった。疲労感は確かにあるものの、筋肉痛は強がり無しでほとんど感じないのはなぜだろう(年をとると疲れが後から出るとは良く聞くが。。。)。その後も体調の変化には気を付けていたが全く問題なく、結局無理をせず慎重に行った結果、筋肉には大したダメ−ジを与えていなかったのかもしれないと思えた。アワードパーテーは表彰式を兼ねており、試合後でもある事からウエルカムパーテーより気分的にも気楽で、アルコールもあり雰囲気は華やかだ。そして何と言っても最高の盛り上がりは75 歳のクラスで優勝した最高齢の小島さんがアナウンスされ、会場の全員が立ち上がり壇上の小島さんが祝福された場面だった。なんてカッコウイイんだろう!!と思った。その場面に一緒にいた者としても誇りに思えた。年齢的には自分より年配者は10 人程度いるがタイム的には足元にも及ばない凄者もいる。身近にいる小島さんはその頂点に居ると思われ、けっして練習環境に恵まれているとは思えない中で時間を盗んで3 種目を毎日こなしていると聞き、単なる天性だけでなく当然の結果をもたらすだけの姿勢を感じた。何時も試合に出るたびに刺激を受けて帰る。そしてそれをパワーに変えようと試みてきたかもしれない。しかしまた新たな事で失敗を繰り返す。今回もスイムではコース取りを変えていたら、バイクではアクシデントが無かったら、ランでは頑張る心意気があったら。。。と自分に言い訳をして納得させ、出来なかった事は夢に託してまた次に臨む事にしよう。きっと来年はもっと大きな感動が待っていてくれるかもしれない。

以上「N.SUGIMOTOさんWAレポート」でした。