南韓国転倒記 18〜28,oct,2008
18,OCT、08
釜山は、少し大きい漁港の町だと思い込んでいたので、予想がはずれた。右手には高層マンションが立ち並び、眼下には濁った釜山湾。飛行機は、ビルの間をぬうように高度を下げて金海国際空港に着く。迎えてくれたのは、先乗りのgoody sportの武藤氏(以下MT)。現地コーディネーターの金さん。SV旅行社の徐聖天さん。ドライバーのシンさん。シンさんは、どういう字を書くのだろう?申?すみません、わかりません。ホテルフェニックスへチェックイン。現地ではピニックスホテル。今回のメンバーは、アウトドアY、ビアンキO。今回の自転車は、ビアンキではなくシューイン)、アイアンマンM、カメラウーマンH。それと60代ときいていた初めてお目にかかるふたり。I氏、N氏。このふたりが、ただものではないことが走り出すと、すぐにわかってくる。夜は、遠い花火を見ながら骨付きカルビ。ほかたくさんの食事。普段、焼き肉店へは入らないので要領がわからない。海風が心地よい。ホテルの近くに戻り、落ち着いた茶屋でナツメ茶を飲む。
19,OCT、08
急造のリゾート地のような海雲台海水浴場をスタート。早くも昇りになる。怠け続けた体にはかなり効く。すぐに松亭着。葉山のような海岸。何気ない午前の、何気ない光、何気ない波打ちぎわ。何気なさのなかを31号線に沿ってゆっくり北上する。機張、日光、長安。入り江ごとにちいさな漁港があり、懐かしい風景。途中、海産物の屋台が目白押しに並ぶ港を通り抜ける。その数、50軒か、100軒か。どの店も同じ店構えをして、同じものを売っている。イカやタコなどの乾物のほかにとくに目立つのはエイと太刀魚。店にいるのはオモニばかり。アボジの姿はない。狭い道路には買い物にきた車が延々と駐車している。漁港を抜け31号線をしばらく走り、また脇道の海岸へ。と、縫うように北上する。昼食はどんつき(K.ケン風)の港の店で摂る。だれかが、どこからか連れてきたハルモニが自転車の番をしていてくれる(もっとも、途中で消えてしまったが)。ここでは、さしみ丼というものを食べる。副菜の種類と量が半端ではない。しかも、どんどんお変わりを持ってきてくれる。ニンニク、玉ねぎ、青唐辛子、大葉、サンチュ、コチジャンは調味料のごとく並んでいる。これは、どこのお店も同じ。韓国料理店へ行ったことがない私には、とても珍しい。ビールはハイト(ファイトにあらず)。おいしいとは言いかねるが、水代わり。毎食、2〜3本飲むことになる。1本3000ウオンなり。食後は32号線。車線がひろくなり、スピードがあがる。道端の唐辛子の赤が目の端をかすめ飛んでゆく。それにしてもメンバーの脚力が凄い。いつも先導してくれるO氏は、何年もの自転車ツーキニスト。会うたびにサイボーグと化してゆく。M氏も同じ自転車通勤者。加えて現役のトライアスリート。宮古島などを転戦しているツワモノ。I氏も、アイアンマンで、宮古島15回、他各国を走っている歴戦の勇士。N氏は、自転車歴こそ浅いものの、いまいちばん熱心で、脂の乗っているファイター。Y氏は、これまで何ケ国か一緒に走ってきたが、ますます健脚。成田帰着後は、その足で房総半島を走るという。ヨット、パラグライダーもこなすスポーツマン。そしてグッデイMT氏は、あまたのトライアスロンや自転車ツアーを企画、先導しながら、みずからも疾駆する現役のトライアスリート。そしてH氏は、ただひとりヨイトコドリ走りを許されている世界を写すカメラウーマン。自転車よりも重いEOSを必携。こんな戦士たちに囲まれて、私はどうすればよいのだろう。坂を登れば足が萎え、坂を下れば目がかすむ。これまでのだらけた走りが懐かしい。なにしろ、過去10数回の海外での平均スピードは16km。今回は、先頭のO氏が、抑えに抑えてくれて21km。単純計算だが、これまで5時間80km走っていたところを、今回は100km以上走ってしまうことになる。斜度10%くらいは平地と同じペースで駆けあがり、下りは60kmオーバーで駆けおりてゆく。蔚山市内に入る。ヒュンデの町。工業団地に入り込む。ラッシュ時に重なり車の数が多くなる。太和河を渡る。後尾のM、MT氏を待つがなかなか来ない。おそらくパンクではないかと思う。なぜか町の入り口でのパンクは多い。河原に降り先行する。再び橋を渡り大和ホテルに到着。と、思った時、突然、眼の前に黒い車があらわれる。後部ウインドウの子供の顔がはっきり見える。本能的に急ブレーキをかけたのだろう。自転車はヨットのピッチボールのように前転し、体は投げ出される。車はかろうじて通過していった。首をあげるとO氏の驚いた顔が見える。目の前に十個ばかりのちいさな星がまたたく。ホテルのエントランスまで10m。なぜか恥ずかしい気持ちで、むこうへ行きたくない。徐さんの勧めもあり病院へ行くことにする。金さんが付き添ってくれる。救急外来で、レントゲンを撮る。ちいさな傷の手当てをする。メガネ小僧風の医師とのやりとりは、どこかもどかしい。肝心なことより、過去の疲労骨折の跡の説明が長い。看護婦さんふたりは、とびきりやさしいが、それも妙だ。看護師さんは怖いほうがいい。診察室も日本とは違い病室のなかにあって、入院患者がぼうっとこちらを見ている。骨折はなく、とりあえず両手、左膝打撲と擦過傷という診断。お尻に注射をするように言われるが、鎮痛剤などの飲み薬で許してもらう。医薬分業。金さんが薬局へ行ってくれる。両手首、手のひらが使えないので、なにかと不便だが、食前にはビールも飲み、弱い焼酎も飲む。チゲのあとで焼き飯を作るとき、オモニのするどい指導がはいる。と言っても、親切からの言葉なのでいやみはない。申さんがシップ薬を買ってきてくれる。漢方のようなよい匂い。これだけで効いいてくる。入浴もできず、早々、寝。
20,OCT、08
朝、河原に出る。きのうの後遺症か、道を渡るとき車が怖い。河原には、いろいろなトレーニングマシン(と言っても、ごつい鉄のパイプの組み合わせ)が据え付けてあり、太目のおじさんがゆるゆるとトレーニグをやっている。ゲートボールの準備も始まっている。日本とおなじくハラボジは暇そうだ。 9時出発。しばらくはバスで移動。車の少ない田舎道に入って自転車スタート。立派な石碑があり、どんなに由緒あることが刻まれているのかと思ったら、「犯罪のない村」という意味。一同、前にこけて記念写真。私は車に居残る。体育の時間、教室に残された虚弱児のような心持ちになる。黄金色の田園と、のんびりした海水浴場。海が光り、砂浜に茣蓙を敷いたひとが日傘の下で沖を見ている。こんなにのんびりした景色の中に、突然原子力発電所が現れたりする。ゲートには銃を持った兵士が立っている。道は北北東方向に曲がり山に入る。ゆるいアップダウンが続く。ところどころ紅葉が始まっている。車から降りて自転車を待っていると、高い空から枯葉が舞ってくる。風の音。リスの声。この静けさは伴走車に乗る者のささやかな特権だ。秋麗トンネル。自転車集団の後尾に車がつきガードする。坂を下ると慶州市。ミレニアムパーク、エキスポ館、慶州ワールド・・・。そして瓦を乗せた同じ顔つきの家々。大きなバルーンの出迎え。いかにも国立公園、観光特区らしい。世界遺産は、良いのか。悪いのか。大繁盛の豆腐料理店へ入る。オカラの汁が珍しい。同世代のYさんとふたり、ありふれたサンマの塩焼きに感激する。 午後早い時間にパーク観光ホテルにチェックイン。建物の高さ規制のため3階建て。エレベーターはないそうだ。自転車をロビーの隅に置かせてもらい、車で市内観光へ。仏国寺。日本のお寺に似ている。古墳公園(大陵園)。金さんの機転で裏から入り裏へ出る45分短縮コース。市内には何百もの陵があるそうで、町中に何気なくあるこんもりした丘。あれも、これも陵である。雪が積もったらソリ遊びをする子供はいないだろうか。それよりも夜になって霊がさまよい出たりしないのだろうか。 夜ゴハンは豚の三枚肉。テレビの野球中継を、みんなが熱心に見ている。韓国シリーズだろうか。夜の陵を横目で見ながらホテル帰着。O,Mパーティに参加する。韓国では酒の種類が少ないのか、ビールと薄い焼酎(18度)しか手にはいらない。ケガ人もどきなので贅沢は言えないが、今夜はウオッカを見つけ少し飲む。
21,OCT、08
朝、霧。町が靄に沈んでいる。裏道を歩けば、そこは古い町並み。崩れかけた家や、屋根の上の大きなキムチ壺、床屋さん、学校へ行く子供、・・・。観光特区ではない、眠たげなふつうの顔がある。9時、バス移動。きょうものどかな田舎の道から自転車スタート。35号線から20号線へ。霧もはれ、秋天好日。左手に湖を臨む絶好のサイクリングコースだ。アップダウンも適当で、バスに乗っている私は何をしに来たのだろうと思う。雲門湖のダムゲートを見おろす峠で休憩。熟し柿を売っている。このあたりは柿,梨の名産地らしい。H氏、観光バスでやってきた韓国の長老たちに話しかけられる。日本の老人にくらべて矍鑠とした感じがする。譲れないところは譲らない。でも、ユーモアもある。これまでどんな年齢をつみかさねてきたのだろうか、と思う。長い坂を降りる。お昼を過ぎているが、食事をするところが見つからない。村らしき路地に入り行き来してみるが、それらしい店はない。後続の自転車隊のエネルギー切れを心配しながら、ともかく前に進む。ようやくドライバーが使うような料理店を見つける。チゲ、コムタン、麺など。再び走り、密陽着。自転車を収納。馬山へ。ホテルサボイ。ここは、きれいなホテル。スタッフもきちんとしている。自転車は別室に預かってくれる。ゆっくり入浴して町へ出る。シップを補充してから、海のほうへ行ってみる。戦没者慰霊のモニュメントがあり、子供を抱えたカービン銃の兵士や、箱型の電話をかける兵士など、コンバットのジオラマのような銅像が建っている。まわりには戦車、野砲なども陳列してある。市場ではないかと見当をつけていった場所は、機械部品の店が建ち並ぶ東京の下町のようなところだった。路地に入ると、旋盤やプレス機などがごちゃごちゃと並び、暗い店の奥でオモニが機械を扱っていたりする。つげ義春の絵の中に入り込んでしまった。夜は、あんこう鍋。日本のそれとは大違い。汁気はなく、真赤である。残りには麺を入れて食べる。O,Mパーティを少し。
22,OCT、08
5時に起きて、まだ暗いなか市場へ行く。フロントが車を呼んでくれる。市場はおもしろい。色々な魚が見られる。コノシロ、エイ、イシモチなど日本ではあまりポピュラーでない魚も多い。ヒラメ、クロダイ、アイナメ、メバル・・・。ほとんどの魚が生きている。オモニが声をかけてくるが、頼めば奥で食べさせてくれるのだろう。生きたタコをぶらさげて見せてくれるオバサンもいる。イカ、タコ、貝、海苔・・・。海産加工物も種類が多い、量も多い。圧倒されて蟹の醤油漬け(ケジャン)を買ってしまう。プラスティックの瓶に、これでもか、これでもかと詰めてくれる。冷静になって考えれば、持ち帰りはできない。できないことはないが、飛行機の荷物室で醤油(といっても、ひどく臭う着け汁)が染みだしでもしたら大変なことになる。失礼かもしれないが申さんに進呈する。6時過ぎから雨になる。9時バス移動。新設の長い橋を渡る。島が煙っている。海軍基地の町から自転車スタート。きょう走るのはアイアンマン3名だけ。2号線を避け、海岸線沿いに小刻みに進む。地図にもないような脇道を行くので、しばしば行き止まりや立ち往生になる。そのたびに申さんはUターンしたり、道を尋ねたりで大変だ。もっと大変なのは雨中を疾走する3人だろう。リアウインドウからふりかえると、飛沫をあげながら追ってくる姿が見える。熱いものを感じる。一緒に旅をしていることが誇らしい。巨大な造船所、広大な埋立地、建設中の長い橋。すべては雨中に溶け込んでいる。洛東江にかかる橋を渡りきり自転車フィニッシュ。もう少し走らせてあげたいような気もしたが。昼食は、参鶏湯。温かく、おいしい。雨の中を完走したひとへのご褒美だろう。ホテルフェニックスに帰る。目の前の駐車場のバッタが迎えてくれる。午後は、市内見物。釜山タワー、チャガルチ市場、国際市場、光復路など。見物は少し退屈だ。食後、また初日の茶屋に行く。O,Mパーティ少し。
23,OCT、08
午前の便で帰る。出国前の検査で焼酎の小瓶をチェックされたM氏。いっき飲みしてしまう。私も、蟹の一気食いをすればよかった。鎌倉に帰り、その足で病院へ行く。打撲と、筋肉委縮の診断。完治(痛みがとれる)までは1〜2ケ月かかるということ。チタンの時計が潰れ、自転車のハンドルが曲がっていたことを思えば、ごく軽傷でよかった。ご心配をおかけしたみなさま申し訳ありません。次回は、ゆっくり、無事故で走ります。 KH