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アスリートたちの「レースどうのこうの」記(アイアンマンシリーズ + サイクリング)
その1 2002 ドイツ
その2 2003 済州(韓国)
その3 2003 ハワイ
その4 2003 ランサローテ
その5 2004 マレーシア
その6 2004 西オーストラリア
その7 2004 ロタブルートライアスロン
その8 2004 ランサローテ
その9 2005 ホヌーハーフ(ハワイ島)
その10 2005 フランス(ニース)
その11 2005 スイスアルプス・ドイツロナンチック街道(サイクリング)
その12 2005 アイアンマン西オーストラリア
その13 2006 アイアンマンニュージーランド
その14 2006 ホヌーハーフ(ハワイ島)
その15 2007 アントワープ(ベルギー)ハーフアイアンマン
その16 2008 南仏リヨン〜マルセイユ(サイクリング)
その17 2008 ヴィーズバーデン(ドイツ)ハーフアイアンマン (レポートA)  (レポートB)
その18 2008 南韓国転倒記(釜山〜ウル山〜慶州〜密陽〜馬山)
その19 2009 エコサイクル済州島
その20 2009 アイアンマン西オーストラリア(A)  函館の仲間達〜(B)
その21 2010 アイアンマンチャイナ海南島  函館の仲間達から 
その22 2010 アイアンマン済州島〜3年ぶり! 函館の仲間達から
その23 2010 アイアンマンハワイ〜レポート 函館の仲間達から  (A)   (B)
その24 2010 ハーフアイアンマンチャンピオンシップ(プーケット)
その25 2010 アイアンマン西オーストラリア
その26 2010 最長距離ウルトラマンに参加して(ハワイ)
その27 2011 夢紀行サイクリング(ニース〜フィレンツェ)〜リンク作成中です
その28 2012 アイアンマン・ケアンズ
その29 2012 夢紀行ルーマニア〜サイクリング
その30 2016 アイアンマン台湾(弊社美保が一般参加しました)

その30 アイアンマン台湾完走記(前回2016年、弊社美保が一般参加致しました)〜

スタート前

ヤリンホテル前からシャトルバスがたくさん出ておりスタート会場までは安心して行けました。

スイム
2周の周回コース。比較的遠浅で波も穏やかなため落ち着いてスタート。
後方からスタートだったが周りはウエットスーツ着用。周回のためか遅いからかトップ
集団に1周目終わりに追いつかれ怒声を浴びせられる。恐らく邪魔をしていたのかと・・
周回コースのため、一旦陸に上がれる。水分補給出来、非常に助かった。3キロ過ぎで
疲れたためロープにつかまりちょい休憩。冷静なレース運び?終わり際に日が昇って
きたが海の透明度はまずまず良さそう。ここまで1時間40分。個人的には満足。

バイク
トランジッションにあまりバイクは無かったが気にせずゆっくり着替える。ホテルで
貰った朝ご飯を食べてからスタート。全体的に平らなコースでアップダウンは少ない。
一箇所だけ少し上坂があった。周回コースだったが、周回中に橋が2箇所ありこちらは
風が少し気になる。それ以外は道も整備されていて走りやすかった。ただ給水所の食料
が期待はずれ。バナナばかり食べていたが終盤バナナすら無くなっていた。自分より
後ろの人は大変だっただろうと推測される。最後失速して6時間40分。序盤少し早い
ペースでいったのが良くなかったか...トップランナーが丁度ゴールしていた様で会場が
盛り上がっていた。

ラン
周回コース。天気が良く熱かった。バイクの疲れもあり序盤はひたすら歩く。途中熱中症
で倒れている人が何人かいた。日が沈み涼しくなってからランを開始。疲れているとしんど
そうな坂が二箇所?あり。バイクの時と違い給水所は食料が充実。ひたすら食べる。
10キロ〜30キロまでは順調に走れたがラスト10キロで集中力とスタミナ切れでまた歩く。
その後はアクシデントも無くゴール。初アイアンマンで完走できました〜  6時間弱。
スイム、バイクの後だから充分かと。

追記
ゴール後バイクをピックアップしてホテルへ。翌日午前中にバイクを預けるため事前に
持って帰るのをお薦め致します。*こちらは昨年のレース実走時であり個人的な見解も
含まれておりますのでご参考までに。

*写真は左から、
主な宿泊ヤリンホテル、バイクトランジット、スイム地点、市内バイクコース

   






 その15 第4回アントワープハーフアイアンマン70.3〜2007  写真はこちら


開催日:2007年8月5日(日) 参加者:800人

2007年8月5日、欧州のハーフアイアンマンシリーズの一つとして、小国ベルギーで「アントワープハーフアイアンマン70.3」が開催された。隣国オランダのアムステルダムからは列車で2時間。パリからも3時間あまりと、交通の便に恵まれたた人口50万人の古都である。日本では「少年ネロとフランダースの犬」の街として知られてはいるが、実はダイヤモンドの研磨と取引では世界一である。また17世紀には画家ルーベンスが活躍した街でもある。ノートルダム寺院と市庁舎を中心に活気のある、しかしアンテークな街並みは、住み心地良さそうに、こぎれいにまとまっている。

スイム
何とのんびり午前11時。にぎやかな市街地の反対、北側のシュヘルド川の川向こうの貯水池でスイム1900mがスタートする。1ヶ月前の水温は何と17度とかなり冷たく心配されたがレース前1週間で晴天も続き21度となった。当日の気温も25度で夏の太陽に恵まれた。ホテルが多くある市街地から川向こうに行くには、何と街の中にあるビルの巨大エレベーターで下り、500m程の地下を徒歩か自転車で渡る。閑静な住宅地の中に広がる貯水地はヨットも浮かぶのんびりした風景だ。そう言えばアイアンマンドイツのスイム貯水池にも似ている。ドイツ同様、透明度は約50〜80cmと良くないが泳ぎやすい。

バイク
スタートして5分でまたシュヘルド川の地下道を逆に走る。もちろん今度は片側解放された車道を使う。速度60kも可能な快適な道路だ。その後は市街地を出て北側の工場地帯、田園地帯と続く。最後に市街地に戻り、動物園や、国の重要文化財でもある中央駅を右に見て市の中心地にゴールする。全体的にフラットで走りやすいが欧州特有の石畳道路が途中の街にさしかかると300m程も続く。慣れない日本人にはこれはこたえる。腕や肩ががくがくする。こんな「厳しくも楽しい通り」は4カ所ほどあった。又欧州各地の例によって、街々の応援は暖かいものがある。

ラン
シュヘルド川に沿って市庁舎までを4周回する。市庁舎前には巨大な観覧席が設けられており、観衆も鈴なりで、もちろん途中のレストラン(通りに面してそのほとんどがレストラン)のテラスの前庭席は応援を兼ねたお客さん達(ベルギービールジョッキ片手)で満席。市庁舎の前では進行役司会者が英語で、またフランス語で選手をおもしろおかしく紹介してくれる。チュニジアからの民芸団もゴール前で大太鼓をたたいて民族舞踊なるものをレースの間中披露していてまるで市庁舎近辺はお祭りの様相を呈していた。道路はほぼフラット。真夏の太陽で皮膚が痛いほどの良い天気で全体的にかなり楽しいランニングではあった。

参加プロ選手
レースは2006年アイアンマンハワイで6着入賞のベルギー人マリノ・バンホーネッカーが2位に7分差の3時間50分で優勝した。彼は2005年のフロリダ70.3では優勝している。また2着のアンドリュー・ジョーンズも2006年フロリダ70.3で優勝している。女子ではレベッカ・プレストンが4時間19分で優勝。彼女は2006年 iオーストリア優勝、i スイス優勝、i ランサローテ5位、2007年 i マレーシア4位, i オーストリア3位 i スイス優勝の実力派。ちなみに日本人の参加は5名だった。

追記
何とムール貝のうまいこと!!1バケツ?約3000円程で量も多くて2人で丁度良いくらい。ガーリック味等の味付け3種はどれも絶品です。そしてチョコレートのおいしさは世界でも有名ですね。宿と言えば、市庁舎とノートルダム寺院の中間にある3星クラスのホテル泊。1階はいつも客入りの良いレストラン。建物は100年もの?で古いが内装外装どれもきれいに磨かれていて居心地もたいそうよかった。そして親切なフロント。とにかく場所は最高でした。

(株)グッドウィル・ツァー武藤誠治 記



 その14 2006ホヌーハーフ(ハワイ島)
さすがトライアスロン発祥の地
海外のレースは初参加でしたが貴重な経験を多くする事が出来ました。アメリカンフイーリングに満ちた大会はさすがトライアスロン発祥の地だけあり参加者、ボランティアが目一杯 楽しんでいる様子はトライアスロンの原点を見る思いでした。黒い溶岩地帯を縫うように走る国道を ひたすらバイクで駆け抜ける醍醐味は 素晴らしいものでコナのアイアンマンの一端を 味わう事が出来ました。 ホテルも一流のリゾートエリアだけあって快適でした。ただ、食事するところが限られ、また、かなり高価のためいろいろ工面を致しました。近いうちにホテルの敷地内にショッピングセンターが出来るらしいのですがちいさなコンビニは既にあってパン、ミルクなどは入手可能です。当方の朝食はすべてここでの調達でした。後はオーシャングリルを使う事が多かったです。 贅沢を言わなければここでも充分ですがメニューが限られ毎食パン主体のカーボパーティみたいでした。来年行くとすると最後の一泊はコナにしたいと思っています。それから荷物は往復共にどこかで開けられた形跡がありましたが中身には異常はありませんでした。さて肝心のレース結果といえば小生思いがけなく年代別の2位入賞となり11月のフロリダでのチャンピオン大会への参加資格を得る事が出来ました。一位なら文句なしにハワイのスロットが手に入るところでしたがそうはうまくいきません。 現地での訳というか日本語のボランティアは関根れい子さんと言う方が(コナ在住ですが)とても親切に フォロウして頂いたことを 申し添えます。
 (記:エイジ参加、寝屋川市島隆司選手)
@宿泊は5星のマウナラニリゾート。大会の本部でもあり便利ですが記載の通り食事が大変かもしれませんネ。4〜5キロ離れたワイコロアショッピングセンターには日本食やファーストフードがあるのですが…、バイクでないと少し大変ですね。但し余裕のリゾートホテルですから楽しめますよ。
@弊社の参加者総勢31名でした。



 その12 アイアンマン西オーストラリア05
リゾート田舎の気楽なレース
恒例になった年に一度のアイアンマンへの出場。今年で、14年連続17回目のアイアンマンとなりました。今回の開催地は、オーストラリア西オーストラリア州の州都・パースから南に250キロ程度の田舎町バッセルトン。なーんにも無い田舎町ですが、それがまた素朴でいい感じでした。コースは、バイク・ランともほぼフラットで、比較的イージーでしたが、出発前のトレーニングでのオーバーワークがたたり、右足が軽い肉離れの状態での出場となりました。爆弾を抱えて望んだ今回のレースでしたが、結果は如何に…。以下、簡単なレースレポート。
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開催日:11月27日 開催地:オーストラリア 西オーストラリア州 バッセルトン
距離:Swim 3.8Km Bike 180Km Run 42Km
参加者数:約700人(37カ国)/内 日本人39人
タイム:15時間29分13秒 (制限時間 17時間)
大会HP:http://www.ironmanwa.com/default.asp
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オーストラリア入国以降、それまで3日間晴天だったのに、レース前夜は何故か大荒れの天気で、激しい雷雨となった。レース当日は、朝3時起床。まだ暗いはずの外が、稲光で明るくなって、やる気はどんどん失せていく。スタートが30分遅れて6時半にスイムスタートする頃には、ようやく天気も落ち着いた。前々日の試泳では水温は19度。当日も同程度だったと思われる。限りなく透明度の高い海は、周りの選手や魚も良く見えるが、うねりがけっこう激しく楽しむ余裕がない。折り返しの頃はうねりもピークで、おおきな揺りかごに揺られながら泳いでいるよう。当然、スイムタイムは最悪で、いつもより20分位遅いワーストタイムを記録。1時間42分かけてフラフラで上陸。
バイクは、60Kmを3周するコース。一部に住宅地もあるものの、ほとんどが林に囲まれた平原のコース。夜は野生のカンガルーも道路に飛び出す、とのことだったが、見たのは交通事故でミイラ化したものばかりだった。日中の暑さと疲労による睡魔の中で、体力はもちろん最後は精神力が試された。足の痛みも気になったため、無理せず7時間ちょっとかけてバイクを終える。ランに移ったのは、午後3時を過ぎていた。制限時間までは8時間以上あるが、爆弾を抱えた足なので、油断できない。しばし歩いてみたが、1時間で6キロ程度しか進めない。意を決して走ってみると、歩いているときの痛みとさほど変わらない。ならばと、行けるだけいってみることにする。走ったり、歩いたりを続けて30キロまではたどり着いた。この時点で、残りの距離と時間から「完走」を確信できた。周りの選手も、ほぼ同じペースで進んでいるため、焦りが無い。今大会は、不思議とランで歩いている選手が多い。残り3キロの39キロ地点から、ゆっくり走り続ける。そしてそのままゴールを迎えることができた。ランは6時間36分もかけて、トータル15時間29分でゴール。
今回は、いつものように吐き気も起こらず、レース後にしっかりと軽食までとることができた。レース後にゴールテントでマッサージを受けながら、アイアンマン17回目のゴールを噛み締めることが出来た。
(記:名古屋在住 中村勝選手)



 その11
「スイスアルプス・ドイツロマンチック街道〜サイクリングの旅7泊9日」 写真はこちら
これまで数々の個人サイクリストが楽しんできたルートを、まとめて挑戦しようということになり、欧州では最も良い時期とされている7月中旬に「アルプス」及び「ロマンチック街道」のそれぞれ半分を縦走してきた。天気に恵まれて青空くっきり、とんがったアルプスの山々や、ドイツの田園風景は日頃の喧騒を忘れさせてくれるのに十分であり、現地の人々も親切丁寧で心地よいものであった。5名サイクリスト+1名ナビゲーター兼ドライバーの計6名が参加者。平均年齢58歳。クロスバイク・ロードバイク・小型フォールデングバイクと種類も様々。平均速度も20k弱とのんびりしたもので、まったくの「ファンランド」。これが実にヨーロッパには向いている。

<チューリッヒ〜ルツェルン〜インターラーケン〜グリンデルワルド>(120k)
スイス最大の都市チューリッヒは、交通量が多い為大型のレンタルバンに8人乗りでルツェルンへ移動。(車の前のボンネットに日本から持参のバイクラック3台用をセットして搬送)ただし、10分も郊外に出れば、もう森林や田園風景が始まり、車内にいるのはもったいない感じがする。右通 行の側道にはサイクリスト用の道があり、バイクの絵がかかれている。しかしこれは所々途切れているので少し心もとない。ルツェルン出発間際に航空輸送したバイク1台のプーリーが故障。たまたま市内を出発地点に向けてドライブ中に、バリバリのそれゆけって感じでせめているバイクショップ発見。約1000円で中古のカンパニョールの部品を入れてもらい、ひと安心。さあ〜始まるぞ〜!「第1シテージ」ルツェルン郊外の田園地帯を出発地点としてサイクリング開始。車も少なく周囲はワイン畑。山すそには放牧牛がのんびり草をはんでいる。田舎の小さな町々を通り過ぎ、やや登り ながら、有名なブルンネル峠に向かう。1008m標高。ただしその前のランジェルンでサンドイッチのランチ。初日第1ステージから登り道でやや疲れが見えてきた面々をバンに乗車させてブルンネルの頂上へ。で、ダウンヒルしようと思ったが道路幅が狭い上に、急降下。やむなく又また車上の人々になった。「第2ステージ」ブリーグ湖の湖畔の町ブリーグからサイクリング再開。いや〜、こ、こ、この景色のすばらしさ。湖水のうすい緑と青のコントラスト。はるかにそびえる山々。「す、す、素敵」と小声でのひとこと。死んでもいいは言い過ぎか。冷静になりサイクルは続く。15kの湖畔道は車も少なく上下も少なく、程なくインターラーケンへ。ショッピングをしながら散策。ここはスイス。アーミーナイフを売る店が多い。カジノもある。さて、グリンデルワルドまでは15kは全てきつい登り。誰か挑戦する人はいないの?いなかった。皆あらぬ方面を向いている。で、バンでグリンデルワルドのホテルへ登っていった。ホテルの窓からマイガーのとなりのするどい山が見え、日本で窓から見える風景と比較してみるが出来ない。違いすぎる。フォンデュシノワーズ、パスタ、etc。ハウスワインの白が美味。

<グリンデルワルド〜スピーツ湖〜ツーン〜ベルン>(65k)
午前中は山岳列車でユングフラウヨッホへ。最後の「ッホ」は、のどの奥から「グオ」とまさに「咳」寸前の声というか、にわとりがしめられるような音を出す。出来ない〜。ダイナミックなアイガー達を見て、午後から「第3ステージ」。やった!ダウンヒル、インターラーケンまでの15kは言うことなし。こがずに、道をのばせば日本まで行ってしまいそう。その後スピーツ湖を左に見て、フラットが続く。ツーンの街を通り越し、中世がそのままのベルンへ。街道をはずれ丘陵コースを選び、やや上下あり。のどかなスイスの田舎を約30k。

<ベルン〜フリブール〜ローザンヌ〜ジュネーブ>(125k)
街ごと世界遺産に登録されているベルンを後にして「アンティークの街フリブール」へ車移動。「第4ステージ」が始まった。フリブールからローザンヌまで50k。前日と同様の丘陵地帯が続く。ローザンヌの10k手前からはダウンヒルになるが、それまでは上下がこれまで以上に厳しい様子 でこれが好きな人は、思わずしっぽを振ってしまう坂と坂と坂。ローザンヌ市内にて60分散策。ジュネーブまでの30kは、湖畔道も車が多めで、無理せず車上の人となり、夕方早めに到着。翌朝旧市街見学。

<ニュルンベルグ〜ネルトリンゲン〜ローデンブルグ〜ウィルツブルグ>(230k)
移動日をはさみ、お隣の国ドイツに飛んでニュルンベルグ。ニュルンベルグからロマンチック街道のネルトリンゲン85kは車移動。ネルトリンゲンからローデンブルグ。城壁で囲まれたネルトリンゲンを散策後、「第5ステージ」。途中、突然の夕立に阻まれはしたが、ロマンチック街道は心地良く、平坦な道が続く。ただし、車前の周囲に自転車道が出たり消えたり。横切ったりで、全て自転車道ではないのが残念。途中50〜60代と見られる外国人(ドイツ人?)男女20名のグループがエンジのユニホームで我らの前に、これ又のんびり出たり消えたりで何とものどか。 ローデンブルグからウィルツブルグへの道が最終「第6ステージ」となる。途中からこれこそ「ロマンチック自転車街道」となり、皆、納得。ついでに地元の人の教えに従い、沿道の古びた教会の地下水を飲み、ボトルにつめ込んだ。神の水はうまい。下りの多いこのステージは麦畑の真中を走ったりのどかな川沿いといつも夕暮れ時のような、静かな石畳の街を通り過ぎ「のどかさ」がこのサイクルツアーを締めくくった。(詳細地図は弊社HPに記載されている)

(参考)グッドウィルツァー(スポーツデスク)では、欧州・中国を中心に数々のコースをご案内しております。グループには、独自の希望コースも手配サポートしています。

<お問い合わせ先 電話 03-3816-1504 メールはinfo@goodwilltour.com

「年間サイクルツアー日程」
4月:韓国1周・ニュージーランド北島/5月:中国杭州〜温州/6月:アルプス/7月:中国西安〜開封/8月:成都〜重慶/9月:ロマンチック街道/10月:杭州〜南京/11月:ニュージーランド南島/12月:台湾1周  その他世界のセンチュリーライドの数々。



 その10 アイアンマンフランス05
コートダジュールの陽気なレース 写真はこちら
2005年6月19日(日曜日)
号砲の合図で6時30分スタート。快晴。波も流れも実におとなしいアイアンマンフランスの幕が情熱溢れる地中海で切って落とされた。ハワイを制したティム・デブームがゼッケン1で参加している。リゾート南仏コートダジュールはサンサンと溢れる太陽が毎日顔を出し、世界中から集まる観光客を包んでくれている。サンレモ、モナコ(モンテカルロ)ニース、カンヌ、少し離れてマルセイユ、アルルが地中海に面して並んでいて、その間にはヴァンスやエズといった中世の村々が山の中腹や山頂に陣取って今も11〜16世紀の時代を錯誤させる生活が垣間見られる。またそんな村々には、ゴッホ、ピカソ、シャガール、モディリアニ、ボナール、ルノワール、といった画家や文豪達の生活の跡も点在している。そんな中、大会事務局の運営も、選手登録やバイクチェックイン、パスタパーティー等々、ニースでの初レースとしては実に手際がよい。

「スイム」・・・2周。水温22度で選手の9割はフルウエット。スタートはプロ、他の選手は各自の実力別のスタート場所が分けられていてそこに立つ。1300名が一斉スタート。48分と言う驚異的な時間でエイジ選手が1位で上がり、デブームは50分30秒。泳ぎやすい海で流れもあまりなく、うねりもない。透明でスタート直後から5m〜10mの深さになる。レースのない日々には、溢れる直射日光で昼から夕方にかけては水温も2度程上がるようだ。海岸は子供のこぶし大の丸い石で埋め尽くされている。やや歩きにくいが、一面がグレーで見た目に美しく、その海岸に実の多くの人々が日光浴をしている。もちろん女性達のトップレスも多く、毎夜9時半頃まで明るい為海岸には人が絶えない。

「バイク」・・・ニースの地中海に面する大通りを行く。カジノのある華やかなネグレスコ、ウエストエンド等の有名ホテルの前を通過しマルセイユ方面に向かい、ニース空港を過ぎ右の岩肌むきだしの山へ向かう。30キロからいよいよ上りに入る。40キロでやっと下るが又50キロで再び上り。後は軽い上りが限りなく続き、一気にズドンと下る。風も少なく長い山中の登りとコートダジュールの強い日差しに対処できずに木陰でダウンしている選手の姿も見られる。他のアイアンマンに比較出来ない程足にくるが、さすがに地元の選手は強く下りもテクニックを駆逐して、狭いカーブも50〜60キロ程の速度で下って行く。交通の特別な遮断はないが、それも不要なくらい車の数が少ない。エズやサンポールドヴァンスのような「鷹の巣城」らしき村々をいくつか通り過ぎ、その景観もすばらしい剥き出しの岩肌間の道から眼下200〜300mに川が流れている。そんなダイナミックな風景が繰り返される。ただし、所々アスファルトをつぎたした道路は、DHバーの使用がひかえられ、おそらく全体の20%に相当する様に感じた。又、海抜1500mがバイクコースの最高地点となり、所によっては心も体も空高く飛んでいるようにも感じた。

「ラン」・・・スタート地点から4周回。エアポートまでのフラットな海岸沿いを走る。夕方からはおあつらい向きに雲が出て軽いシャワーが歓迎。雨は傘をさして歩く程でもなく、沿道から、ビーチから、ホテルのベランダから、数多くの応援の声が上がる。軽いシャワーで選手達は再び生き返り足並みも良くなる。午後10時30分が制限時間で全16時間。他に比較すると、このコースの条件は多少厳しいように感じるがどうだろうか・・・・?途中棄権者の数も他コースよりは多少多いようだ。(1300人中棄権200人)

結局、地元フランスのヘルビー・ホウリーが1位。2位はマルセル・ザモーラ。デブームは6位に沈んだ。女子ではアストリッド・ペラソーナが1位。男子プロの優勝時間も8時間49分6秒と言う「暑さと山岳コースを物語」るタイムになった。

月にハーフアイアンマンモナコも開催される予定だが、コートダジュールの街々はどこの海、どこの山や丘、どこの海岸通りを使っても納得のゆく、得がたいレースが楽しめるような気がする。終わってみると、1500mの登はんを含むバイクコースが前評判通り辛いものだったが、実は景色の良さに十分慰められ、楽しめたような気がする。スタート地点(大会事務局)から程近い繁華街通りのホテルに泊まり快適な滞在が出来た。パスタ類、ピザの数々、ブイヤベース、コートダジュール風サラダ、魚スープ、ムール貝、パエリア、地中海ステーキ等々、食の文化も十分楽しめる。そして美味なルージュ、ブラン、ロゼといった地元のワイン達も旅人を慰めてくれる。日照時間の長いコートダジュールの陽気な海と山々と太陽と、そして街々の随所に見られる歴史の跡が再度の参加を誘っていて、2006年の挑戦がまた・・・・楽しみでもある。

記:(株)グッドウィルツァー武藤



 その9
常夏のホヌーハーフアイアンマンに参加して 写真はこちら
2005/6/5(日)35人参加(選手25人)
6月3日(金)
日本航空の直行便で21:00発〜同日朝09:00到着。出発時のバイク預けは、32キロ、240cm(3辺)も超過運賃はなしでホッとした。航空券は先に送付されていたので個人でチェックイン。コナ到着後、すぐに現地「ジャックスツアー」のバスが着き、30分でパプナビーチプリンスホテル着。5星のこのホテルは、やはり5星らしい部屋と庭園とプール。目の前が、スイムコースなので応援にも都合がいい。チェックイン後、トライアスロン旅行社M氏のピストンで大会事務局ホテルのマウナラニホテルへ行き、エントリー兼のカーボパーティー。このバイキング式のパーティーには、ウェルチ、リルデ等の有名選手も参加した。(エントリー代が$250くらいなので、パーティー代は含まれない)。プリンスホテルに戻り最初の1日が終わった。エントリー時には、ラン用具も預けると便利。夜はお酒同好会の6人でたわいのない話で盛り上がった。

6月4日(土)
朝6時OPENのホテル朝食は、バイキング。やはり5星でその量も多く日本食の納豆まである。食べ過ぎた。ランチ分まで食べてしまった感じ。午前中にコナに遊びに行きたい人の為に添乗M氏が60分の道程を送ってくれることにより数人が出発。もしもタクシーで行くと往復で何と$160(¥18,000)もする。我々は、午前中プールや海のスイムコースで泳ぎのんびり。波も流れもおとなしく十分楽しめた。プールサイドのレストランでビール+ハンバーガー($19)。ちなみにビーフカレーは$15。午後は説明会。日本人の在ハワイ女子高生が日本語ボランティアで案内をしてくれて大助かり。往復を添乗M氏がピストン。翌日の5時少し前に起きるように目覚ましをセットして11時に床につく。慣れたアイアンマンなのにいつもどうりよく眠れない。(注)ウエットスーツはやはり水温24度以下で可能。今回は25.5度で不可。

6月5日(日)
朝5時にツアーに含まれている朝食弁当をフロントにて受領。バナナ、パン、ハム、ゆで玉子、マンゴー、ジュース等。スイムスタート及びバイクラックは、ホテルから歩いて5分。便利この上ない。添乗M氏がデジカメで撮りまくっている。しかし彼の場合、ボケているか半分だけとかが多い。もうわかっているので、ピース!!
●スイム=1000人いっせいスタート。2キロのコースは楽しかった。バトルもなし。三角コースの帰りが少しだけ流れが逆。アメリカ人の応援はやはりにぎやかでレースと応援の空間を目一杯enjoyしてる。
●バイク=ハーヴィーまでの45キロはさすがにアイアンマンコースの中でもきつい部分。上り下りの回数が何度もあり横風もすごい。前輪のデープリムは避けたい。いわく、応援で行ってターニングポイントを過ぎると同じ道を戻れない。山の上を走り、ワイレアの街を通って帰されるので遠くなり大変。これも避けましょう。でも山頂からの風景はこの世のものと思えない程!!すごい・・らしい。
●ラン=暑い太陽の下、マウナラニホテル周辺のゴルフ場を中心に所々ラフ道路あり。芝生ありで東京の古参Y氏は芝の穴に足をとられ転倒。少しサバイバルレース的。目にも身体にも楽しいコース。同行仲間の日本人選手達と何回もすれ違い、抜きつ抜かれつ。中でも初心者と言われるわりには「ビックリ早い」可愛い福岡の女性2人。オヤジ共を抜いて先着ゴール。このMさんSさん、今後オジサン達には怖い存在。・・・・・で、フィニッシュ後なんとそのままアワードパーティに突入したのだ。アメリカンフィーリング。裸でパーティ。仲間内では函館のT氏(70才)がハワイをGET。1時間半後、添乗M氏の「人+バイク」のピストンでホテルへ帰る。35人+25台だが「8人乗りバンに一度に全員のせる」というM氏だが、4台+4人が限度。あのいいかげんフィーリングがたまらない。やはり、これもアメリカンフィーリングか?夜、8人で2次会。盛り上がって解散。
(追)ハワイゲットにはCash$450又はクレジットカードが必要ですよ。

6月6日(月)
早いものでもう帰国の日が来た。朝7:45ロビー集合。8:00出発。バス+トラックで空港へ30分。チェックイン。皆無料で通過。めでたくホノルル免税店経由で帰国。一人青森のK氏がバイク転倒で肩が痛い。楽しいアスリートと楽しい空間を十二分にエンジョイした旅でした。(3泊5日、プリンスホテル朝食付き全送迎付きで納得の¥135,000でした。次は4泊6日にしたい)

★ 6/3、4の2日間、ボランティアで那須の「宮塚スポーツ研究所」のメンテ係のO氏がプリンスホテルのロビーにてバイクメンテをしてくれたので、これも大助かりの感謝感激。バイクメンテ以外のストレッチ方法もあり、勉強させてもらった。
★パプナプリンスホテル。1泊$300〜400程の5星ホテル。8階がロビーになっていて、横に広がりボーイ達も笑顔で接してくれました。部屋も広くバスルームにはタブの他にシャワー室があり、とにかく広い造り。フィットネスジムもあり、アスリートには好評でした。もちろん箱根という和食も。大会本部ホテルのマウナラニホテルには車で12分(フィニッシュとエントリー)。
★「ホテルからスタートへはバイクで上下差あるハイウェーを2キロ行くか、目の前の砂浜を300m歩くかのどちらかです」と言っていた添乗M氏の隙をつき、我々はショートカットの山道を発見(徒歩5分)。それを皆に発表したら、すかさずM氏
「知ってましたよ〜。皆を喜ばせようと教えるのを残してあったのですから〜〜」と、しら〜とした平気な顔していたけど、本当に知っていたの?まったくもぉ〜。

*****記:神奈川/MR..Iでした***
親しくなった同行トライアスリート皆さんにカンパイ!!!!!


 その8 04 ランサローテ
名古屋在住の中村さんからの「おもしろおかしい詳細メッセージ」です。
***後日、参戦記の写真も記載させていただく予定です***
5/17(月)
いよいよ憧れのランザローテ出発!定時に仕事を切り上げ、18時過ぎに会社の隣のヒルトンホテルにて香織(妻)と合流。そのままタクシーで近鉄名古屋駅へ。19時ちょうどの近鉄にて難波経由で南海特急ラピートに乗り換えりんくうタウンへ。名古屋から約3時間の移動で関空のANAゲートタワーホテル着。旧友の松本は夜勤でホテル内にいるものの、電話のみで礼を言う。極狭と聞いていた部屋は十分な広さがあり、改めて松本に感謝。浮いたお金で30分マッサージをお願いした。バタバタして2時過ぎに就寝。

5/18(火)
関空より海外脱出。6時前に起床、朝食を食べ7時過ぎにチェックアウト。そのままシャトルバスで関空へ。8時前には送っておいたバイクをピックアップし、KLMカウンター近くへ。そして今回の旅のメンバー、徳島の鳥海さん、大阪の岸部さん・北村さんと合流。(9時過ぎに名古屋の菅原さん到着)交渉慣れしている岸部さんにBIKEの超過料金交渉をお願いしたが、結局1万円ちょっと(80ユーロ)の料金を払いギリギリで機上に。手荷物検査や出国審査もVIPのようにあっという間に過ぎていた。約12時間のフライトでオランダ・アムステルダム着。ここで成田発の片岡さんと合流。やはり成田でも同額の超過料金を取られたらしい、厳しくなっている。トランジットではほとんど待たずにスペイン・マドリッド行きの飛行機へ。2時間程度のフライトでマドリッド着。アムステルダムと違いこじんまりしたイメージ。マドリッドでピックアップされるはずの荷物は、最終目的地のランザローテまで手配済みでピックアップできず、そのままタクシーで市内のホテルへ。渋滞で30分以上かかり、25ユーロ。ホテルは格安の割りにはまともなホテルでホッとした。夕食は近くの日本食レストランで済ます。チャーハン5.5ユーロは安い。この日は時差ボケで24時間起きていたことになり、シャワーも浴びずに就寝。

5/19(水)
マドリッドからランザローテへ。夜、時差ボケで何度も目を覚ましたが、結局4時頃起床。7時半からの朝食は、パン、ハム、チーズの簡単なものだったが十分おいしかった。朝食後、散歩を兼ねて皆でホテル近くを散策。マイヨール広場等をウロウロ。この街、あまり観光化されていないな、というのが正直な印象。あまり長居する価値が無いかも知れない。10時にはホテルへ戻り、チェックアウトしてタクシーで空港へ。(20分・16.55ユーロ)チェックイン後にカフェで一服。生ハムのフランスパンはおいしかった。機内は、昨日のアムスからの機より広く感じたほど。3時間弱のフライトもアッという間だった。心配していた荷物とバイクは、ランザローテの空港に無事届いていた。一安心。同じ便に乗っている筈の鈴木さんが居なかったことを除けば、順調にランザ入りができた。そのまま迎えのバスでホテルへ。所要時間15分程度。島の雰囲気は、まさしく砂漠に近く、乾燥地帯である。しかし街に着くと一変してリゾート地へと変わるから不思議。一面白い建物と青い空のコントラストが素晴らしい!ホテルもキッチン付きリビングと寝室があり、テラスもとても広く使いやすい。  早速、大瀧詠一の「A LONG VACATION」を聞きながら、夕方にはバイクを組み上げる。夕方、みんなでホテル周辺の散策に。小さなみやげ物屋やレストランが建ち並ぶリゾートの街並みが広がっており、改めてランザローテに来た事を実感した。ホテルの宿泊にセットの夕食(バイキング形式)を食べている最中に、最後のメンバー鈴木さん登場。ロンドンからの飛行機の遅れとは災難だ。

5/20(木)
レース地は最高のリゾート地!! 起床後、7時にスイム会場へ試泳に向かう。ホテルから徒歩5分、ホテルのプールを抜けてビーチへ出ると、そこがもうスイム会場だった。水温は18〜19度の感じ、結構冷たい。フルウェットで何とか泳ぐ。大変透明度が高く、波も無い泳ぎやすい海だ。時折、魚の姿も見える。水から上がっても寒く、一同ウェットを着たままホテルのプールへ直行。そこのシャワーで着替える。朝食後、インターネットを使うため同系列の隣のホテルへ。GRICのネームサーバーの設定を改めて確認しようとしたが、結局分からず。午前中は街並みやバイクの具合を確認するため、バイクで軽く走ってみる。きれいな景色を写真に収めていると、ノルウェーからきた選手Ove(ウバ)が話し掛けてきた。お互い片言の英語ながら、アイアンマンへの思いは同じで話が弾む。43歳で今回6回目のアイアンマンとの事。フランクフルトのアイアンマンがいいと、しきりと薦めてくれた。彼とは写真を何枚か撮り、別れた。その内彼のHP(http://home.no.net/ove1no)に掲載されることだろう。午後は、選手登録・競技説明会・パーティーのため、クラブ ラサンタへ。(タクシーで30分弱・25ユーロ)。まずは、選手登録。持参したJTUの期限切れのカードが有効だったかは分からないが、ワンデーライセンスフィーの追徴金は無し。いつも通り選手登録を行っていたところ、香織の様子がおかしい。各国から集まっている選手を目の当たりにし、既に大会の雰囲気に飲み込まれたらしい。「本当にアイアンマンに来たんだね」と感動して涙ぐんでいる。自分では忘れかけている大切な気持ちを、彼女から教えられた。やはり大変なことをしに来ているのだ。その後、英語での説明会。レースディレクターのカネツ氏が丁寧に説明してくれていた(と思う)。パーティーまで時間があるため、ラサンタ内をウロウロ。特にプール周辺はきれいで、トップレスの女性の姿もチラホラ。ラサンタ内で時間を潰していたが、パーティーの始まりも遅いことからパスし、タクシーでホテルへ戻る。無駄な疲労をためずに済んだ。

5/21(金)
レース前日ものんびりとレース前日と言えども、トラバックとバイクの預託は15時から。今日は、ゆっくり過ごす日とする。午前中は香織と街をぶらついてみる。一般の観光客が多いのか、いかにもアイアンマンという人にはあまり出くわさない。写真は街にあった不動産屋の物件の一つ。プールつきのいい物件だが、お値段も5千万円以上と結構高い。岸部社長にお土産に買ってもらい、みんなで使おう!(社長、ヨロシク!)バイク預託で、昨日のノルウェー人ウバOveに会う。奥さんも紹介してくれたので、日本から応援グッズとして持参した「根性ハチマキ」をプレゼントした。英語での説明には、相変わらず苦労する。この日は明日の早起きに備え、早目に就寝。

5/22(土)
いよいよレース本番!レース当日、3時半に起床。4時に赤飯と五目ご飯に味噌汁の朝食を食べ、5時にホテルを出て、食料やボトルのセットへ。徒歩5分でスタート地点へ行けるのは、嬉しい。このホテルで正解!一度ホテルに戻り再度6時にテルを出て、スタート地点へ。一番右のバトルに巻き込まれない位置を確保し、皆スタートしたのを見届けてからゆっくりと入水。試泳しているとは言え、冷たい。やはり18度程度の水温か?スイムコースは、長方形の四角を2周回する。最初の160mのブイを曲がる頃には、底が見えない深さになるが、どこまでも青く透明度の高い海で気持ちいい。波や流れもほとんど感じない。時折見える魚の群れが、レースの緊張を和ませてくれる。コースロープもあり波も無く箱庭のように泳ぎやすいスイムだった。ほぼ予定通り1時間21分でスイムを終え、トランジットのテントへ。さすがに体は冷え切っており、凍えながら着替えを行い、ボランティアに日焼け止めを塗ってもらう。バイクは日本の佐渡ケ島程度の大きさを1周するコース。世界中のアイアンマンの中でも、バイクコースのハードさでは有名。今回のポイントは、いかにこのバイクを克服するかにかかっていた。走りだしてすぐに街を抜け、一面茶色の広大な景色へと変わる。緯度はアフリカと変わらないので砂漠、または火山の島らしくごつごつした熔岩が広がる。アップダウンは予想していたよりも大きくなく、大きな丘を越えていくイメージだった。調度アイアンマンカナダのよう。風も想像以上に強くなく、天候も概ね曇り。完走できる条件は揃っていた。但し、計算外だったことは路面の荒さだった。南アフリカやニュージーランドも荒れているが、これほどではない。最後のピークからの下りは、一気に標高が下がるダイナミックな道なのに、ハンドルを押さえ込むのが精一杯で、バイクにしがみついているようだった。また、このコースは景色が大変素晴らしい。砂漠、熔岩地帯、きれいな海、白壁の街並。どんどん変化していくその景色に、最後まで飽きることがなかった。バイクも途中制限時間が気になったが、これもほぼ予定通り8時間でクリア。しかし、他のアイアンマンより1〜1.5時間は余計にかかっている。ここのコースはやはりバイクがポイントだった。さぁ、気を取り直してランスタート。ランは1周10キロ強を4周してくるコース。片道5キロちょっとで折り返しなので、距離感が分かり易く、助かる。1周1時間半、片道45分でコンスタントに行ければ、6時間で終わる計算。最初から欲を出さず歩きながら進む。1周目の折り返しで50分位かかり、その後も走るより歩く時間が長くなり不安。とにかくバイクでボロボロなった足が、何とも言うことを聞いてくれない。1周目折り返し後にスタート地点に戻る途中、岸部さんと擦れ違う。「写真撮っていこう。こんなん急いでもしょうがないわ、時間もたっぷりあるし、今日はゆっくり行こうや」と声をかけてくれた。自分でも分かってはいたが、正直この言葉にかなり救われた。その向こうには、使い捨てカメラを持った北村さんの姿が・・・。また、この時に岸部さんが持っていたサロメチールで動かなかった足をマッサージ。これがびっくりする程効いて、今回のレースの完走を確信できた。その後も岸部さんと擦れ違うたびにサロメチールを塗り込み、その度に足は回復していた。次回のアイアンマンでは、今回の教訓を生かしサロメチールを必ず持参することとしよう。2周目に入ってから、いつもの吐き気も激しくなってきたため、パンシロンチュアブルのお世話になる。バイクスタート時も口にしているので、本日2個目。これもその後の体調回復に大きく貢献してくれた。3周目に入る頃には、周りの選手も少なくなっており、後続が数えられる程度となっていた。しかし、全く焦らない。とにかくこのペースさえ守れば、制限時間の夜12時迄には帰って来られるのだから。残りの距離が短くなるに従い、どんどん気持ちが楽になり、4周目はタイムを気にせず楽しみながら走れた。沿道の観客の応援も最後まで絶えることなく、むしろ4周目が一番声をかけられた程。通りの向こう側のレストランのテラスからも応援の声が飛んでくる。それに一つ一つ応えながら進むのが、また楽しい。海岸でBBQをしている人からは、「チョリソを食べていかないか?」と誘いを受け、ひと口。これがまたおいしい。エードにあるオレンジやコーラ程度しか口にせず、それさえも飽きがきて口にしていなかったためか。また「ひと口だけじゃなく、もっと食べていけ」と走って追い掛けてくる応援は本当に嬉しい。この頃で自分の後ろにいる選手はわずか14人。4周目の折り返しの時は、22時14分だったため、16時間内のゴールは難しいだろう、と思っていたが、気付くといいぺースでゴールへ近付いていた。時計に目をやると22時55分。行けるかも知れない、と思った瞬間ゴールヘ向かい全力で走っていた。そして16時間待ちつづけていた香織とゴール!夕イムは15時間59分16秒、今までのアイアンマンのワースト記録を1時間以上更新した。ゴール後、初めてのアイアンマンを目の当たりにした香織は、僕のゴールを見届け安心したためか、泣き崩れてしまった。レースディレクターのカネツさんからも祝福され、長い1日の終りを実感した。 その後、マッサージテントで性感マッサージのような怪しい手つきのマッサージを受け、ホテルに戻る。普通は、レース後のホテルまでの道のりが長く感じられるものだが、ゴール前がホテルというこのロケーションは最高だった。部屋に戻り風呂に入り、そのまま就寝。香織も疲れ切っていて、二人とも意識を失うようにベッドに落ちていった。

5/23(日)
レース翌日はのんびりと早朝5時、気持ちのいい朝を迎えた。やっと終わった安堵感で一杯の大好きな瞬間。昨夜は食べ物も喉に通らず、そのまま寝てしまったため、とにかく空腹。持参した鮭粥を食べ、元気になった。朝食、胃の痛みはあるものの、そこそこ食べられた。今回残念ながらバイクでリタイヤした美和ちゃんと鳥海さんも元気そうでホッとした。やはりここのバイクコースはきついよ〜。 部屋に戻り洗濯とバイクパッキングを行う。自分のバイクを改めて見てビックリ!なんとタイヤが変わっている!よく見ると、ホィールは自分のものでホッとしたが、タイヤだけが器用に換えられていた。新たに装着されていたタイヤもビットリアの決戦用のものなので、まぁ良しとしよう。 ホテルのショップでいくつかの土産物を買いあさり、昼からみんなでパエリアを食べに行く。海岸線を歩いて海の見えるレストランへ入ったが、今日は天気がいい。レース当日こんなに天気が良かったら、暑くてばてたことだろう。昨日が曇天で助かったよぉ。 午後はビーチに繰り出す。ゆっくり泳ぐのは、実はこちらに来てから初めてのこと。香織の希望で、ホテル隣にある岩陰のトップレスビーチにやって来た。ここへ来ると半数近くの女性がトップレスでいるが、何故かそれが自然になっている。やっぱりリゾートだなぁ。海水は相変わらず冷たく、20度程度か?一緒に海に入った香織は冷たい海水が苦手で、キャーキャー言ってた。そんな海でもちょっと泳ぐと綺麗な魚が一杯見える。アー、デジカメの防水ケース持ってくるんだった、後悔。 夕方からアワードパーティーの会場に移動。タクシーで20分程度。(12ユーロ)昨日走ったバイクコースを逆走していくため、その景色をしっかり目に焼き付ける。改めてそのすごい光景に驚く。(あんな山の上まで行ったんだぁ) パーティー会場前では写真屋さんが昨日のレース写真を売っていた。1枚5ユーロは日本と比べても高くないね。バイク、ラン、ゴールの3枚を購入。一番乗りで会場に来ていたこともあり、パーティーではいい席をキープできた。お洒落なレストラン、といった感じで雰囲気は良かったが、ひたすら長く感じた。我々が一番楽しみにしていた昨日のレースビデオも5分程度の編集で物足りなかった。表彰の時には既に眠りに落ちる日本チームの面々。パーティーからの帰りは、辺りが真っ暗で、とっても幻想的な雰囲気にまた感動した。

5/24(月)
感動のフラメンコ!!今日は日本へ向けて帰国の日。5泊したFariones Hotelとも今日でお別れ、本当にいいホテルで、アイアンマンのホテルとしては理想的なホテルだった。朝食後、名残惜しくホテルのプールへ。プールサイドで横になり、最後のリゾート気分を味わう。アイルランドから来た、という隣にいたファミリーとしばし会話をして部屋へ戻る。10時過ぎにホテルをチェックアウトし、空港へ。申し込みが遅かった僕たち2人と美和ちゃんだけ違う便で、他の人達とはしばしのお別れ。出発まで時間があり、3人で空港のカフェで時間を潰す。マドリッドへ着いてからは、空港でバイクが出てこなくて一瞬焦ったが、それ以上に焦ったのは空港預かりにする予定のバイクケースが一杯で置けなかったこと。これは予想外で、結局タクシーに乗せてホテルまで運ぶ羽目に。そして悪いことは続くもので、天候は気がつくと激しい雷雨となっていた。しかし、このタクシードライバーは片言の英語も話すため会話もでき、結構面白い。「エーッ、ランザローテに行ってたのかい?あそこはアフリカだからね、小麦色によく焼けたね」話も弾んだため日本から持参のカリカリ梅をあげたら、しっかり食べてくれた。大丈夫なのかな?ホテル着が20時頃となったが、ちゃんと他のメンバーと合流。皆で最後の夕食を食べるため、近くの生ハム専門のレストランへ。先ほどのタクシー運転手もご推奨の店で、メニューも生ハム以外、他のスペイン料理も豊富。味もとても美味しく、スペイン滞在の中で一番印象に残った食事かもしれない。その後、本場のフラメンコを見るため移動。ウロウロしながら目的の店にたどり着いた。決して広くは無い店内は、既に満席状態だが、何とか店の一角に陣取りしばし初めての生のフラメンコを楽しむ。 せっかくスペインへ来ているのだから、というついでの気持ちで来たのだが、一言で言うと圧巻だった。間近で生のステージを見るのはこんなにも迫力あるものか、と大した予備知識もなく見ていても感動できた。また、岸部社長のアドリブのセリフもメンバーに大受け、夜中12時過ぎまで楽しい時を過ごした。

5/25(火)
懐かしの日本へ 。夜遅く寝て朝は早く起きるパターンは既に定着した。今朝も7時半には荷物をまとめて、朝食を10分で済ませタクシーで空港へ向かった。何日か一緒に過ごした鈴木さんは、この後一人でスペインを観光されるが、空港まで見送ってくれた。マドリッドからオランダ・アムステルダムで飛行機を乗り継ぎ、ここが最後の買い物ポイント。残っていたユーロがわずかなお土産に消えていった。成田へ向かう美和ちゃんとはお別れもできず、慌しく関空行きの便へ。関空着後は、鳥海さん・岸部さん・北村さんと別れ、菅原さんと香織と僕の3人で名古屋に戻った。翌日、関空から送ったバイクも戻ったが、特に大きなトラブルは無かった模様。8日間の長旅だったが、大変思い出深いものとなった。特に初めてアイアンマンを見た香織にとっては、忘れられないいい経験になったようだ。



 その7 ロタブルートライアスロンレポート
私が今回のロタブルートライアスロンに出ようと決めたのは、7月に行われた館山オープンウォーターの時です。その日、一緒に大会に出場していた林さんが、「ロタのトライアスロンに出る」と言い出したのがきっかけです。林さんの話に触発されて、大会の応援に来てくれていた綱川さんと私も出ようと決めました。それまでの私のトライアスロン歴は、相模原の米軍基地で行われている短い距離が1回、そして渡良瀬のオリンピックディスタンスが1回の計2回です。経験も少なく、自分の自転車もウェットスーツも持っていない私がいきなり海外でミドルディスタンスのデビュー戦ですから、今から考えると少し無謀でしたが、その時は勢いでやる気満々でした。早速自転車を購入しましたが、ほとんど(全く)練習しないまま本番を迎えてしまいました…ロタ入りした次の日、初めて見るロタの海の青さにとても感激しました。会場となる海での試泳では、少しうねりがあり、泳いでいて横に流されてしまいました。しかしそんなことよりも、今まで見たことのないような真っ青な海で泳げることに私はとても興奮していました。その日の夜は緊張して眠れない…と思いながら布団に入り、気付くと目覚ましが鳴っていました。外はまだ暗かったのですが、とてもよく眠れた私は爽快な気分で試合に臨むことが出来ました。夜明けと共に試合はスタート。前日はうねりがあった海も当日はとても静かで、プールを泳いでいるようでした。本当ならきれいな海を堪能しながら泳ぎたかったのですが、唯一得意なスイムだけは頑張ろうと心に決めていたので、お魚たちと戯れることなく真面目に泳ぎました。頑張った甲斐あって、スイムは白戸さんの次に2位で戻ってこられたので、私のレースはもう終わったような気分でした。あとは、周りの景色と、買ったばかりの自転車の感触を楽しむべく、自転車をスタートさせました。途中、終わりがないかと思うような長い坂が続いてかなり失速しましたが、周りの声援に支えられ、何とか切り抜けられました。その辛い坂を越えると、右には昇りかけの太陽が映る海、左には岩肌の見える山という絶景が私を迎えてくれました。いつしか上り坂の疲れも忘れて、心から自転車を楽しんでいました。ついでに、次にランが控えていることもすっかり忘れて、調子に乗って自転車をこいで、一番心配していたバイクも無事にフィニッシュできました。 バイクを置いて、さて走ろうか!と意気込んだのも束の間でした。足が吊ってしまい、思うように動きません。2キロぐらいまで走っては歩き、また走って…を繰り返していたのですが、こんなことでは21キロも走れないので、リタイヤしてしまおうかと何度も思いました。しかし、奇跡的にもその時点で女子1位だったので、ここで諦めてはもったいないと思い、足が動かなくなるまでは前に進もうと決心しました。すると、3キロを越えた辺りから足が動くようになり、その後は1キロごとの給水を目指して走りました。9キロ地点での給水所では、お腹も空いていたのでポテトチップスを分けてもらいました…10キロの折り返し直前に、また果てしなく続くかと思うような坂に出会ってしまい、さすがにそこは歩いてしまったのですが、折り返しの給水所でリンゴとオレンジをもらって元気になった私は再び走り始めました。炎天下のランは本当に辛かったのですが、給水所の方の励ましや、一緒に試合に参加している方々との励まし合いで、何とかゴールすることが出来ました。更に、女子優勝という結果を出せたことで、大きな自信にもなりました。
ロタ島の自然に囲まれたすばらしいコースを、たくさんの素敵な方々と一緒に泳ぎ、走ることが出来て本当に良い思い出になりました。試合だけではなく、ロタ島で過ごした3日間、多くの出会いや出来事全てが素晴らしい思い出です。また次の大会で、今回出会った方々と再会できるのを楽しみにしています。
以上。これからますます楽しみな中村紗智さんでした



 その6 アイアンマン西オーストストラリア
レース当日11月28日(日)
曇り時々雨のち晴れ 気温約22度 約水温20度
(スイム) スタート時間が朝6時なので水温が冷たく感じます。(フルスーツのほうがいいかも)4角形のコースを時計回りに2周回スタートから直線600メートルはブッセルトンで最も有名な観光スポットのブッセルトンジェッティーに沿って泳ぎます。前半は風が強く、波が立っていたのでかなり苦戦しましたが、風がなければ湖のようなので泳ぎやすいのではないかと思います。その日・時間によって海の状態は違うようです。

(バイク)1周60キロ3周回アップ・ダウンは全く無し。ただし路面が粗いので空気圧は普段より少なめにしておいたほうが後半の疲労が少なくなると思います。今回は参加人数も少なくドラフティングもあまり無かったように思えますが、参加人数が増えるとドラフティングも増えるのではないかと少し心配。コースは街を出るとオーストラリアの自然を満喫できるコースだと思います。

(ラン)全コース海岸線沿いで3周回。バイクと同様フラットなコースなのでリズムがつかみやすいですが一部コースが狭いところもあるので反対から来るランナーに注意が必要な所もあります。太陽が出ると暑く感じられますが夜の7時過ぎてくると寒くなってくるのでゴールが遅くなる人は防寒対策が必要です。インド洋がきれいに光り疲れを忘れさせてくれます。

(概要)街の風景ー半径1キロぐらいの街なので歩いて回れる
★観光:ブッセルトンジェッティー〜海岸から桟橋の先端にある水族館までトロッコで行く1時間半のコースで20ドル予約が必要。
★レストラン:中華・イタリアン・日本食(味は?)なんでもあり。しかし物価はあまり安くない。
★スーパー:大きなスーパーが数件あり、なんでも揃う。値段は日本と同じか少し高めだが量は多い。
★ホテル:今回のホテルは会場から徒歩10分くらいプールつきBBQ設備あり。来年はより綺麗なペンション風ホテル(朝食付)になるようです。ちなみに徒歩5分。

参加人数:約800人/日本人27人/ハワイスロット2人獲得。西オーストラリアはアップ・ダウンなく、初アイアンマンの方には最適!

グッドウィツアーの方も現地ガイドと共に親切な対応で安心してレースに望めました。

(成田からの基本ツアー参加者は22名/来年は関空名古屋からの発着もあり、より参加しやすい安いツアーを手配する予定とか…)



 その5 2004年アイアンマン・マレーシア 2月29日
レース参加者からのお便りを掲載させていただきました。
やっと到着したマレーシアのリゾートアイランド・ランカウイ島は現地ガイドスタッフの説明によると、この40日間雨がなく、一昨日も40度を超えていたとのこと。これからの’長ーい一日’を予感させる。

(1)運しかない。
総合タイムは11時間33分。オッサンの部二位でハワイの世界選手権出場権ゲット。一位はベルギー人、二位は自分、三位はドイツ人。三位のドイツ人は後3分に追い上げてきていたので危ないところでした(走っている本人は全く気付いていませんでしたが)。一昨年は、同じコースで10時間19分。約1時間15分タイムが悪い。この順位が不思議。運しかない。何年もやっていれば、こんな幸運もあるのかも・・・。それとも、今思えば、四百数十人参加でリタイアの数も70人以上だったから、やはり、40度の暑さとバイクコース上の風。みんなもきつかったのかなあ・・・・よくわからない???

(2)もう一つの幸運
今回は忙しいさなかで参加。スケジュールがきついのは、去年、仕事で、ジャカルタ出張1泊3日をやっていたので、精神的には負けなかった。(これって、大きい!)レース後は折角の表彰パーテイも横目に全てパス。帰国の途に。一日合ったら、魚釣りツアーと洞窟探検に行けたのに。残念、帰国の途。

(3)レース中
@水泳3.8キロ
本来は7時スタートであるが、陽が上がっておらず、真っ暗。7時15分過ぎにあっさり変更。これが海外予選会の良さか。日本だったら、何が何でも時間厳守。薄日の中を突然のピストル音。片道1.9キロの往復コース。クラゲか何かいるようで常にピリピリと何かが肌を刺すが、気にしないようにする。心拍はとことん低く押さえるように。1時間8分で終了。第1関門突破。
Aバイク180キロ(島を大きく2周回)
路面も悪くないし、応援も楽しいバイクコース。そして、何が出てくるかわからない森林エリア。前回参加の時、下り坂の途中、サル軍団の道路横断で急ブレーキ。間一髪避けた記憶がある。今回もサル、牛、ヤギ(野生)、ニワトリが集団で横断していった。驚いたのは大トカゲ。コモドドラゴンほどではないにしても、体調60センチくらい、重さは数キロあろうかというものが、道路に横たわっていた。動かなかったので、おそらくクルマに轢かれていたのだと思うが、自転車で踏んだら転倒は間違いがない大物。そんなこんなで、一人でノンビリ走っていると、後ろから数人のドラフテイング集団が。参加人数も増えてきたからね。
Bラン42.195キロ(町と郊外を結ぶ往復14キロを3周回)
バイクから降りて、その日、マラソンが走れるかどうかはいつも不安の種。最初の2〜3キロは様子をみるように走る。結論。本日はダメ。うーん、でも完走はしたい。できれば、上位入賞してハワイも行きたい。体が言うことをきかないジレンマの中で悶々とした気持ちで歩を進める。沿道で応援の現地の子供達とハイタッチしながら、気を紛らわせていたが、2周回目から、腹痛も出始めていよいよピンチ。トイレの回数もどんどん増える。途中、仲良しの今井良子選手も痛めていた股関節、腸腰筋(字が違うかな?)を押さえながら必死に闘っている姿に感動。励まされる。こうなると、もう我慢大会。ともかく完走、完走、完走!頭の中はこれだけ。3周回めの折り返しがすぎ、やっと完走のメドがたつ。その途端、足が軽くなったような気が。なんとゲンキンなもの。
完走はやはり嬉しかった。感動した。アイアンマンはやはり完走しなくっちゃ…強く思った。

(4)レース後
人間の欲望は尽きない。完走はできたけれど、落ち着いてくると、やはり、もっと頑張れなかった自分がもどかしい。ホテルの部屋に入ると、悔しくて、情けなくて、ビールをガビガビ。翌日も屋台で昼間からビール、ガビガビ。・・・・思い出して、完走Tシャツもらわなければ、大会本部に行ったら、途中、友人に二位入賞を教えられてビックリ。今度は乾杯!すぐ会場近くでビールをガビガビ。

(5)最近の苦しみ
最近、練習の絶対量が減ってきてている。仕事のせいではない。数年前のカレンダーを見ながら、以前のトレーニングを振り返ってみると、やはりレース前の休日には頻繁に自転車に乗りに行っていた。今年は、暖冬にもかかわらず、間際に2回だけ。沖縄合宿でもすれば別だが、なかなかできない。トレーニング後の疲労感も抜けにくくなった。加齢との闘いかもしれない。この競技が面白いと強く感じているときはモチベ−ションを維持するのも簡単だった。今はどうやって自分を奮い立たせて、やっていくか・・・毎日が闘いに。大会に出ると、男女を問わず、自分より更に高齢の選手が頑張っている。そんな方達のゴールがまた自分の行く道を照らしてくれているように感じる。帰国して数日。まだ体がフワフワしてます。さあ、仕事も追込み、本業も頑張らなきゃ!

*宿泊のこと
**大会事務局のシービューホテル…地の利は最高でエントリーも結果発表もホテル2階で行われる。スタート地点へも徒歩6〜7分。朝食バイキングもマレー風で面白い。部屋は3星です。15m程の小ぎれいなプール有り。
**5星のシェラトンペルダナリゾート・・・やはり5星。部屋は広く、庭園には2つのプールもあり優雅にリゾートライフを楽しめる。朝食バイキングは海を眺めながらの盛り沢山。スタート地点へも徒歩7〜8分。お進めです。
**セントラルホテル…シービューホテルのとなりに位置し場所はかなり良い。外観は良いが、内装は2.5星かな?でも居心地は悪くない。



 その4 2003年アイアンマン・ランサローテ 5月17日
昨年度、弊社ツアー参加の方からの参考メールです。
ランサ・ローテから昨日帰国しました。今後のツアーの参考として、今回の状況を連絡します。

@手荷物重量オーバー
今回、BIKEケース重量リミットは24Kgでした。成田発の場合、CHECK−INの際(30Kg)きっちりオーバ分を徴収されました。ランサ・ローテ発の場合、一応重量は測りましたが(28Kg)、料金徴収はありませんでした。便への乗客数にもよりますが、適当な部分もあるようです。

A乗り継ぎ便
預けた自転車は何れもFINAL DISTINATIONのみPICK−UPでした。帰りCDGでの乗り継ぎ時間が1〜1.5時間で何とか間に合うかと思いましたが、MADRID、AIR FRANCEカウンターで『便間の乗せ換えに時間がない』と言われ急遽、予定より30分早い便に搭乗、しかし、自転車は間に合わず成田着が半日間遅れました。乗り継ぎには荷物の乗り継ぎもあるので、2時間は必要かと思います。

BSTOP−OVER
今回、行きCDGでSTOP−OVERでした。空港に隣接したホテルがありました。CDGの場合、一度入国になり空港外にも出られます。値段にもよりますが、ホテル素泊まりのほうがいいかもしれません。

C気候
・湿気が少なく、昼間でも日陰(木陰)にはいると涼しく感じます。当然、日が落ちると寒いです。
・夜明け間近かは曇っていることもありますが、それでも昼前(11:00)ごろになると日が差してきて、熱くなります。
・風も毎日吹いてました。(北東方向から)。かなり強い日もあります。

D島位置関係
・空港からcarmen(ホテル+会場)まで、taxiで10分、carmenから大会事務所のあるla santaまでは、taxiで30分弱、taxiの運転手によると40km離れていると言ってました。la santaに行く時は、大人数でマイクロ・バスのような車で行くのがいいです。

E交通
・入国審査はparisで終了しているので、なし。手荷物確認もほとんどなしです。荷物さえ出てくれば、10分もかかりません。
・空港からホテルまで、taxiで約10分。空港でのtaxi待ちはほとんどありませんでした。しかし、バンのような大きなtaxiは期間中見なかったので、走ってないかもしれません。

Fホテル
・ホテルは4つ星、高級ホテルです。・部屋は2ベット、ソファ、バス付。入り口も広く、窮屈さはないです。
・備え付けのコーヒ・メーカはなし、冷蔵庫は鍵がかかっていますが、reseption(フロント)に言えば使用できます。
・テラスからは全部屋から海辺が見えて、runコースが目の前なので、テラスから走っているのが見えます。
・朝食は8:00〜10:30まで。バイキング形式です。中身は数日食べましたが、毎日同じでした。味は日本で食べる場合と同じで普通です。日本人でも抵抗はないと思います。
・メイン会場(トランジッション・エリアは1個所)までは約5Km。歩けない距離じゃないですが、レース後に戻ってくるのは、ちょっとしんどいと思います。(スタートから500m以内にもホテル・コンドモニアムがあり早めに予約すれば何とか取れます。但し少し高いかもしれません)

(★現在グッドウイルツアー使用ホテルはスタート間近の4星コンドミニアムで朝夕食付きのプランです。無理に近所のレストランに行かなくても絶対極上の味を提供していますの人気です)

Gレース
・swim:スタート時間ごろに空が明るくなり出します。コース上、急に水が冷たくなる場所があります。
・bike:前半60Km位までは、高速路の側路を走ります。向かい風、横風が強い場所があります。中半は噂に聞く、ハードな登りが何度も続きます。この辺りが正念場です。後半は追い風で、下りも多くなり、前半は考えると楽に感じると思います。
・run:4周回。ゴール(トランジッション)付近はアップ・ダウンがあり、以外ときついかもしれません。それを過ぎるとフラット、海岸沿いで走りやすいです。

H町
・基本的には英語は通じず、スペイン語と思っていたほうが無難です。
・今回宿泊した、carmenの町はホテルと会場が両端に位置しているようです。この町の中だけであれば、車は必要ないです。



 その3 2003年ハワイアイアンマンチャンピオンシップ 10月18日
ハワイ常連の参加者からの手記 「丸 知司 アイアンマンハワイ参戦記」
先日行われました世界選手権(アイアンマンハワイ)について報告します。
●開催場所 アメリカ合衆国 ハワイ島 カイルア=コナ
●開催日時 2003年10月18日(土) 午前7時スタート
●気象状況 天候 晴れ時々曇り
●競技距離 スイム3.9km バイク180.2km ラン42.195km  計226.3km

(1)スイム
アイアンマンハワイ・・・何回出ても期待と不安の入り混じった心境は初めて参加した時と全く変わりはない。レースは午前7時頃、耳を劈く様なキャノン砲の号砲で幕を開けました。エイジグループのスタートラインはプロ選手のスタートラインの約20mほど後方。選手同氏のぶつかり合い(バトル)が多少緩和されるようになっている。各国で行われるアイアンマン予選会と比べ、選手のレベルも高く各選手とも冷静に泳ぐせいか、落ち着いて泳ぐことが出来る。波も穏やかで、透明度もよい。今年は大きな魚の群があまりないな・・などと気を紛らせながら、集団からはずれないように泳ぐ。さすがに世界戦はスイムのレベルが高くついていくのが大変。水泳、最近まともに泳いでなかったけれど、ともかく、気持ちよくスイムアップ・・・おっと、その前に海の中でオシッコ。後ろから来る人、ゴメンね。’大’じゃないから、許してね。

(2)バイク
スロープを駆け上がると、選手達はすごい勢いで、バイクトランジッションへ。自分の順位、位置などまったくわかりません。バイクは目標タイムを6時間、平均時速30km/h.でクリアしようと計画を立てていました。出だしは順調でしたが、前の選手との接近に気をつけながら、とばしすぎないように、ペダルを回す。去年はコナの町を走る時は雨だったので、下りがこわかったが、今年は路面が乾いていて、気は楽。この世界戦のポイントはなんといっても、風、風、風。吹き飛ばされそうな横風にどう対処するかで、今回もレース前一番気にかけた。ところが、去年に引き続き、風がない。やはり、異常気象の影響か?バイクの折り返し地点(100キロぐらいか)ハヴィを通過したところで、腰も痛し、どうも力が入らない、調子が出ない。腰はあまり痛くなったことないのになあと考えつつ、とうとう下りの途中で、一度、バイクから降り、ほんの少し気分転換、休憩。ついでに2回目のオシッコ。気を取り直して走るが、やはり気分も優れず、だんだんサイクリングになってしまった。途中、小さな集団があり、少しだけ気合を入れてパスしようとしたが、抜きにくかったので、思わず日本の癖が出て、右から抜きにかかったら、マーシャルに反則と判断され、バイク終了後に3分間の移動禁止となるペナルティーを受けてしまった。悪いときには悪いことが重なる。泣きっ面に蜂。バイクを終えて、ペナルテイボックスに行く。入ってみると、トイレはあるし、水もゲータレードもある。ここも悪くないな・・など不謹慎なことを考えながら3回目のオシッコ。すると、日本人の女子プロもこのボックスに入ってきた。

(3)マラソン
バイクがキチンと走れなかったせいで、ランは足が比較的軽かった。気持ち悪さも治まって、沿道の声援に応えながら走った。ハワイはここが一番楽しい。途中、仲良しの女性応援チームがすごい大声でエールを送ってくれるが、あまりの声の大きさに少し恥ずかしくなってしまう。でも、有り難い・・・。3時間半を切るのを目標にしたが、やはり、今日の体調はそこまでは許してくれない。1マイル9分程度、結局3時間45分で楽しいゴール。ゴール付近、応援で来てくれた関与先企業の社長さん達がいるはずなのに誰もいない???おかしいなと思いつつゴール付近の観客とハイタッチで、ようやくお疲れさん。(後で聞いてみると、昼間ゴルフに行き、帰ってきてコンドミニアムでお酒飲んでいる うちに、皆寝てしまった。気がついたら、時間が過ぎていたとのこと)ボランテアで来てくれている日本人女性からマッサージを受けた。気持ちよかった!!(去年はでっかいアメリカ人男性だったので、体が壊れそうだったからね)。

●レース後記
自分のレースとしてはイマイチ。今年のハワイは風もなく最高のコンデイションで自己ベストをマークするには絶好のチャンス。原因を考えるに、体調が今ひとつ良くなかったのもあるが、直前にバイクのシートピラーが折れたのもあったかもしれない。直前に取り替えたが、どうしてもポジションが戻せず、レースでも、折り返しすぎてから、腰は痛いし、足は左右交互につってしまう。タダでさえ、遅いバイクが更に遅くなった。ただ、これも実力のうち。また来年ガンバります。レース終了後、コンドミニアムでシャワーを浴び、ぶらぶら歩いてハゴスへ。バーカウンターで飲もうとすると、バーテンダーのアルフレッドがワインを片っ端から持ってきて飲ませてくれた(もちろんタダ)。完走祝いのパーテイだといって、自分を喜ばせてくれた。喉がカラカラだから、もう最高!!!10時頃、ハゴスと出て、最終ゴールを見に、再びゴール地点へアイアンマンハワイの最高の瞬間を見届けようと今年は70歳を超えてこの競技に挑戦している女性アスリート・シスターマドンナが途中リタイアゴールが見られなかったことがとても残念だった。(参考ホームページ http://www.s-sp.co.jp/ の社長のページです)

★ホテルのこと…コナシーサイドホテルに弊社基本コースの選手は宿泊。スイムスタートにはどこより近く、共同ベランダからはスタートの海に飛び込めそう。こじんまりしたホテルで中庭のプールの回りに「コ」の字型に部屋が囲んでいるので、選手皆の様子も分かりやすい。夜はどこからともなく誰かの部屋のポーチに集まりビール片手にアイアンマン談義に花が咲く。そして目前のアーリードライブはゴール地点。ホテルの周囲徒歩5分以内にはいろいろあり、安くて美味しい中華料理、最近できた日本料理の居酒屋、もちろんアメリカンステーキ…等々で今回は食の方も大満足。ホテルの部屋には冷蔵庫・電気湯沸かし器もあり、ちょっとしたレトロト料理、カップヌードルやコーヒー、お茶は部屋で作れてまぁまぁ便利。と言うことで住み心地は…かなりGood!



 その2 2003年済州島アイアンマン 8月31日 詳細
(2003年9月5日記録)
・気候…晴れ・気温28−31度水温24−26度
・スイム…いたって具合の良いコンディションの中でスタート。
コースはいつも通りの3角を2周回。途中、寒流や逆流もあったがそれなりに快適なレース運びができた。ただ透明度は5−10mといったところ。スイム後のバイクトランジットへのラン400mはビーチラン+上り坂で少しやっかい。暑がりの人はロングジョンでOK。フルスーツで脱水症の人も。
・バイクのトランジット…出ました!韓国式。と言ったら怒られる?バイクラックに全員のグッズを掛けるのだが、まるで蜂の巣のように鈴なり。どれが自分のか判らない。案の定トップの疋田選手はここでタイムロス。名付けて「自分のグッズ・探索ピックアップゲーム」これもトライアスロンの1種?と思えば何ともないか〜〜。
・バイク…過去2回は済州島1周の何とも伸びやかなスロープで心地よいアップダウンだったが、今年はよりハードに変身。島の南部分を1周するが途中は山裾に入る。ここが「嬉し悲しい厳しい」ところ。警官+「済州島模範タクシー協会ドライバー」が交通整理。安全な体制だった。要注意は下りのスロープで、対向車がかなりのスピードで来る。ところどころ長崎のコースを思い出す。
・ラン…これまで通りランはきつい。上下くねくね道路は相変わらず。高い湿気と暑い中で選手は大変。特に声を大にしたいのは・・ゴール間近のワールドカップ周回コースで、ここは少し暗くてだーれもいない。疲れている上に心細くて家に帰りたくなる。やっとゴールで賑やかなのは100mだけ。何とも締まらないゴールではあった。賑やかに頑張っているのは司会のウイットさんだけ。近所のみなさんもまばら。でもマッサージと救護班は大活躍でした。

・その他…@エントリー、ゴール、ハワイ発表の3点セットがワールドカップのサッカー場であり、ここがみんなの宿泊先の中文に遠く、車で20分かかる。まー、ドライブが何回もできて道も覚えるし悪くないか〜〜〜A女子韓国選手の1人は、な、何と・・・・トップチューブに生ニンニクを付けていた!B男子韓国選手の1人は、キューリのデカイのが・・・Cついでに言うと缶詰と缶切りを積んでるアンチャンも!D悪いけど、もっとついでに言うと、15人くらいで野原の中、弁当広げて和気藹々ランチで盛り上がっているグループも!・・・いいんだよ。それで。俺はそのグループをそこで抜いたのだから・・E運の悪い選手と良い選手・・・バイクのマーシャルは選手の運の良し悪しで「トッツカマエテ」いるみたい。それもゲームかな〜〜〜。ドラフティングされている方が捕まっていたもの。F事務的なこと・・・ハワイのスロット発表の着順が違っていたり、女子なのに男子登録されていたり、アマチアなのにプロだったりといろんなことがありました。もっともこれはどこのレースでも起こり得ることですが。・と言うことで、何とも楽しいゲームとして生涯心に残るレース記でした。コース全体で言えば・・・・・・・・・・・[VERY GOOD!!]です。アワードパーティも十分楽しめ、食事も良かった。レースの結果・・・詳しくはみなさんご存じと思うので省略します。ただしかし、残念ながら日本勢は振るはず(ハワイのスロットは多かったのですが)、韓国勢の台頭が目立ち、これは逆に何年か後が楽しみですね。

(追記)場所は少しだけ離れていましたが(800m)、きれいなコンドミニアムと朝食用の食材(お米、キムチ、韓国のり、ふりかけ、みそ汁)はかなり役に立ちひと安心でした。



 その1 2002年 アイアンマンドイツ 第1回大会 詳細
チェコやドイツ東部の大洪水を忘れさせるような真夏の暑い晴天の中、フランクフルト市街とマイン川周辺は、これまでのロートに代わり新アイアンマンドイツ第1会大会を迎えた。レースは2ヶ月前のロートでも優勝したロタレダーが連勝し、残念ながら期待のノーマン・スタドラーは途中リタイア。
フランクフルトはドイツでも商業の中心として古くから栄え、日本からも航空便が多数ありパリと並び欧州の玄関口と言っても過言ではない。そんなフランクフルト市街南に約10キロ。ラングナーワルドシー湖がある。今回のスタート地点だ。スイムゴールにはバイクの1700人用の広大なトランジットがある。他に例を見ないほどの広いバイクの間隔。多くのトイレ。透明度はあまり良くないが欧州特有の冷水ではなく湖水面も穏やかで泳ぎやすい。またその対岸はヌーデスト用のビーチになっており大勢の人々がのんびりと応援を兼ねて日光浴をしている。フローティングスタートではドイツ語、フランス語、スペイン語、英語、ロシア語等々の言葉が飛び交うなか3.8キロが始まった。案の定ロタレダーがトップでトランジットに入りウエーウイドマンがこれに続いた。ユーゲンザックは9番目に陸に上がる。アウトバーンを思い起こす様なハイウェイがフランクフルトまでの10キロ。市内中心のレーマー広場(マイン川沿いにあり隣接する旧市庁舎が本部になっている)を突き抜け北部の丘陵へと進む。やはりバイク大国である。約15分おきに通り抜ける町や村の人々の応援はモノスゴイ!!必ず登りの道路がありそこは人の壁で2メートル位の間隔しかなく、中には選手の背中を押してシュプレヒコールを上げて応援している人々も多い。明るい人々と美しくも古き建物とそして重い歴史。それらが一時アイアンマンレースを忘れさせてくれるようだ。さもなければまるでツールドフランスの主人公になった気がしてしまう。2周回でもう1度通過すると思うと期待でゾクゾクしてしまう。全体的にさほど厳しい山間での上り下りは少なく丘陵の緩やかなスロープがメインになる。マイン川沿いのバイク最終直線に700〜800m程に長く延びたスタンド。そこにも人々は鈴なりに沢山重なって応援している。ゼッケンには番号より選手の名前が大きく書かれている為、彼らは選手の名前を呼び応援する。結局バイクパートではロタレダーが追いすがるザックから約1分差でランへ。ランはやはりレーマー広場を中心にスタート。フランクフルト市街を東西に延びるマイン川を3周回。川の周囲は芝生と木々におおわれた公園になっていて市民は芝に寝ころび又はビールを片手に拍手し応援してくれる。日曜日の・・もう夕方だ。夕陽がまぶしい。川沿いのコースは思いのほか上下差がなくフラット。ただマイン川の橋を合計6回渡るのがきつい坂と言えば言える。エイド(水、コーラ、バナナ、西瓜、オレンジビスケット、等がある)そしてトイレの数は多く、木々による日陰も多い。フィニッシュ・・・・何と長くて幾く重にもなったスタンドか!!!そしてここでも鈴なりの人々の歓声。嬉しいやら、恥ずかしいやら。あのハワイの3倍もあろうか。夜も11時を過ぎフィニッシュゲートが閉まる。そして耳をつんざく花火。興奮ぎみのフィニッシュ選手。気力も使い果たした選手。しかし足を引きずり、それでも満足げに誇らしくフィニッシュメダルを首にかけている。
優勝ロタレダー、2位ユーゲンザック、3位ウエーウイドマン。結局ドイツ勢が上位を占めた。

こうして幾世紀もの重い歴史の中で、フランクフルトという都会とその周辺の村々の暑い応援と視線を十分に取り入れた新しいアイアンマンが誕生した。「都会型アイアンマンの幕開」は十分成功したようだ。
尚、日本からは14名(グッドウィルツァー主催)が参加した。(この記録はTJ誌の記事になりました)
(記・武藤誠治)

(追記)宿泊ホテルは5星のインターコンチネンタル。場所も良く、朝食付でバイキング。質も量もかなり豊富で大満足でした。勿論部屋も言うことなし。ジムや温水プールも完備されている。